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コミュニケーションで「悟る」とは?


前回は、「悟り」にいたるプロセスについて、キリストと釈迦(ブッダ)の例をあげながらお話しました。

YOKU STUDIOでは、私たちが生きるこの時代においては、生まれつきの飛び抜けた才能がなくても、世捨て人のように厳しい修行に挑まなくても、「悟り」が開けると考えています!

そこで重要なのは、他者とのコミュニケーションなんです。


「悟り」にコミュニケーションが大事?って、疑問に思う方、多いかもしれません。


たしかに「悟り」って、1人でがんばって到達しなくてはいけない境地のようなイメージがありますよね。


しかし、現代における「悟り」は、他者との偶然の出会いのなかで、一緒にコミュニケーションを楽しんでいくなかでこそ、得られるものなのだと思います。


今回から考えていくのは、そのような自他の区分のない共同性のなかでの「悟り」の方法についてです。




・「悟り」=自分だけのストーリーを解体すること




そもそも「悟り」というのは、自分を縛りつける感情や理念から自由になって、とてもフラットな目で、自分を、他者を、世界を見ることができる状態になること。



誰かを自分の敵だと思い込んで、過剰にイライラしたり、恨んだり。逆に自分を悲劇の主人公のように感じて、どうしようもなく落ち込んだり。


または、「私という人間はこうでなくちゃ!」「人としてこうやって生きるのが正しいに決まっている!」という固定概念にがんじがらめになってしまったり。その固定概念を、当たり前のように誰かに押し付けて、関係がこじれてしまったり。


誰しも、このような苦しい思いをした経験があると思いますが、その原因となっているものこそ、自分を縛る感情や理念、つまり「自分だけのストーリー」なんです。


自分を苦しめている原因となっているこのストーリーは、まさしく自分自身が作り出したものです。


つまり、それさえ解体すれば、もっと柔軟で自由な感性や思考で、毎日を楽しんでいくことができるはず。


そして、このような「自分だけのストーリー」の解体こそが、「悟り」なんです。


この「自分だけのストーリー」は、ネガティブな感情的エネルギーとしての「地球的周波数」と呼ばれるものとイコールであり、また、こりかたまった理念としての「分離的周波数」(YOKU STUDIOの造語)ともイコールです。


その「自分だけのストーリー」を解体するために、手っ取り早いのは、そこに「他者のストーリー」を融合すること。


つまり、多くの他者とコミュニケーションをとりながら、たくさんの「私たちのストーリー」を作っていくことが、とても有効だと言えるんです。




・「ストーリー」を織り合わせてみる



たとえばあなたが、自分に自信を失い、「私なんて…」と一人で悶々としていたとします。


そんな時、まったくその悩みと無関係な人物に、なんとなく思いを打ち明けてみると、それだけで気が楽になることってありますよね。


たぶんその人物は、あなたに対して、すぐにその悩みを解決してくれるような、建設的なアドバイスをくれたわけではないはずです。


きっと、徹底的に議論を重ね、その悩みの原因を突き止めたわけでもない。


けれど、誰かが自分の言葉に耳を傾けてくれるとか、時間と空間を共有してくれるとか、たったそれだけで、ネガティブな規定としての「自分だけのストーリー」が変化したりする。


「私なんて…」という自己卑下的なストーリーが、「あなただから…」というポジティブなストーリー(つまり、自分の存在を承認してくれるストーリー)と、コミュニケーションを通して織り合わされ、新しいストーリーへと変化していくことがあるのです。


自分と相手がお互いの存在を尊重し、認め合った状態のなかで行われるコミュニケーションは、どんな形であれ、「自分だけのストーリー」を解体するきっかけになります。


(必ずしも言語的なやりとりではなくても、おいしい食事や美しい音楽を共有することや、お互いを心のなかで思い合うこと、つまり「祈る」ことも、広義のコミュニケーションになります。)

それこそが、現代版「悟り」への近道です。








・1人でがんばらなくても「悟れる」時代



私たちが生きる現代は、「悟り」にいたるための、いわばボーナスステージです。


今の時代は、「風の時代」と言われるように、とても身軽に、「自分だけのストーリー」を手放していくことが可能です。


これまでは、情緒的なつながりが重視され、家族や会社のしきたりや社会規範の影響も非常に強かったため、「自分だけのストーリー」を手放すことはとても難しい時代でした。


特にキリストや釈迦が生きた時代というのは、貧富の差が大きく、生きるために精一杯の人々も多かったでしょうし、家族的・民族的・宗教的な伝統や規制も強かったでしょう。


だからこそ、「自分だけのストーリー」を手放して広い視野を獲得することができる、つまり「悟る」ことができるのは、生まれながらの天才か、世俗を捨てた修行者だけだったのだと思います。


後天的には、ストイックに自分に向き合っていくことでしか、「自分だけのストーリー」を手放すことができなかったわけです。


けれど何度もお伝えしているように、現代においては、「悟る」ために特別な能力も、孤独な修行も必要ありません。


私たち誰もが「悟り」にいたるポテンシャルを持っている今、共同的な運動を通して「悟る」ことが、いちばん効率的ですし、いちばんクリエイティブで、面白いプロセスではないでしょうか?

「悟り」に必要なのは、自分と他者のストーリーを織り合わせて、たくさんの「私たちのストーリー」を作っていく「共同的創造」なのです。





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