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「鑑賞」するたび世界が面白くなる!YOKU STUDIO的鑑賞法


皆さんはじめまして。
これからYOKU STUDIO鑑賞部門を担当させていただきます。
現在私は人生二度目の大学生として美術大学で油絵を専攻している者です。


自己紹介の時に「美大に通っています」というと

「すごーーい!私絵とか描けないし、ゲイジュツのセンスとか全然なくて笑」

という言葉がかなりの確率で返ってきます。

このような言葉を返す人の多くは「美術/芸術がわかる」ということの条件として「絵が上手くかけて、かつ世の中で名作とされる作品の良さがわかる」というめちゃくちゃ難しい条件を掲げているように思います。 

しかし、絵も描けて名作の良さまで分かっちゃえる人はこの世界の何%でしょうか?

少なくとも私は絵は描けても正直名作と呼ばれる作品の中には「???」としかならないものもあります。

 絵を上手く描けるようになりたいなら描き方や道具の使い方について多少訓練すればある程度上手くなれます。 

では、作品がわかるようになるためにはどうしたらいいでしょう? 

実はこちらも作品の見方や理解を深めるための情報をどう使うかを知ることで習得できます。

しかも、絵が上手くなることよりは遥かに短時間で自由に習得できます。 

このYOKU STUDIO鑑賞部門ではそのような作品の見方、理解を深める方法をご紹介していきます。






「鑑賞」ってどういう行為?




美術品のような美しいものを見たり、聞いたりしてその作品を深く味わうことを一般的に「鑑賞」と言います。

 「趣味は映画鑑賞です」 …なんて言葉を使ったことがある方もいるかもしれません。

 「鑑賞」という言葉の意味を調べると大体「鑑賞」する対象は「美しいもの」、「美的なもの」という言葉が入ります。


ではこの「美しいもの」、「美的なもの」とはどんなものを指すのでしょう?

それを説明する前に一つの小説について皆さんにも考えていただきたいです。 

それは、江戸川乱歩の「芋虫」という作品です。 読まれたことのある方もいらっしゃるかと思います。 (ここからネタバレあります!)


 戦争によって四肢と声を失ってしまった須永中尉とその妻・時子を中心に物語は進みます。 

戦争から帰還した直後は四肢を失っても生きて帰ってきてくれた夫を甲斐甲斐しく世話する時子でしたが次第に言葉を発することも動くこともできぬ夫に苛立ち、夫を下等生物のように見下し、いじめることに快感を覚え始めます。

 ある日もの言えぬ夫が指すような目線で時子に何かを訴えかけます。 

その目線の鋭さに恐怖を覚えた時子は夫の目を潰してしまいます。

 我に帰った時子は医者を呼んだ後、指で夫の胸に「ユルシテ」と何度も書きます。

 時子は後悔の念にかられ夫の同僚であり大家である鷲尾少尉に懺悔しに駆け込みしばらくして夫のもとに戻ったものの夫の姿がありません。 四肢もなく目も見えないはずなのに、、、。 

夫がいた部屋の柱には「ユルス」という文字が書かれていました。

 慌てて外に出ると大きな芋虫のような生き物がずるずると地面を張っていきます。 

恐怖でその場を動けなくなった時子の耳にその生き物がドボンと古井戸に落ちる音が聞こえたところでこの物語は終わります。 


ここまで物語をご覧になって皆さんはどのような感想を抱きましたか?「不気味」なんて感想が多いでしょうか?

素直に「美しい」と感じるには他の要素がありすぎる、、、。だからと言って「不気味。」その一言だけがこの作品に感じる言葉でしょうか?

始めは献身的に夫の世話をすることが快感だったのに、徐々に苛立ちや恐怖を覚えることで快感を感じる行為が残虐なものに変化していく様。そんな時子へ唯一残された意思表示方法である目線で訴えかける須永中尉の声にならない思い。「ユルシテ」に対して「ユルス」と書き記して自ら命を断つという物語の終わり方。これらの過程には「不気味」という一言には還元しきれない「なんか凄い!」という「感動」が含まれていないでしょうか。

この「感動」を覚えるものこそが「美しいもの」という言葉が指す対象になります。


YOKU STUDIO鑑賞部門での「鑑賞」という行為の対象は上記のような「なんか凄い!」という「感動」を覚えるものとします。

この「感動」の感じ方は人それぞれであって、こう感じるのが正解ということはありません。

一般的に「美しいもの」というと一目見て「キレイ」、「カワイイ」といった感想を抱くものに限定されがちですが、この場ではそのような限定を取っ払い、絵画、文学、マンガ、映画、工芸品など一言では表しきれないような感動を覚えられてそこから様々な考えや思いを抱くことのできるものを幅広く取り上げていきます。





「オタク的鑑賞」と「ミーハーな鑑賞」






次に「鑑賞」という行為にありがちなステレオタイプを二つご紹介します。


一つは「自分の趣味趣向のみに頼ったオタク的な一人での鑑賞」です。もう一つは「流行作品や著名人が良いとするものなどを鵜呑みにするミーハーな鑑賞」です。

前者は、すでに自分の興味・関心の傾向を知っているので主体性の形成ができています。しかし一人で鑑賞を続けているので自分で「面白そう」と判断できるものにしか手を出さないので柔軟性には劣っています。

後者は、自分の興味・関心は多少はあるかもしれませんがそれよりも世間の流行やその道の権威の言葉の方が自分の興味・関心よりも強い力を持っているので主体性はあまりないでしょう。しかし、前者に比べると流行や権威の言葉などの外からの刺激を受け入れることに関してはかなりの柔軟性を持っていると言えます。


YOKU STUDIO鑑賞部門ではこの二者を脱構築し「ミーハーなオタク的鑑賞」をすることを目指します。

では、「ミーハーなオタク的鑑賞」とは具体的にどんなことを指すのでしょう?簡単に言えば両者のいいとこどりをする感じです。

オタク的鑑賞では自分の興味・関心という主体性を持つことができていました。この主体性を持った上で今流行っているもののランキングやその道の権威のおすすめなどの外部からの刺激も柔軟に取り入れていく、、、というのが簡単な「ミーハーなオタク的鑑賞」の内容になります。


私はどちらかというと「オタク的鑑賞」を長く続けてきた人間です。

私のような「オタク的鑑賞」をしている人にとって「ミーハーなオタク的鑑賞」をするための一番のハードルは他者の意見を取り入れることでしょう。

誰かと最近見た映画の話なんかをしていて、自分は全く興味を惹かれなかった作品を相手が絶賛していて「ぜひ見てほしい!!」と言われると心底「興味ねぇーーーー(白目)」と思っていたものです。(ごめんなさい!今は違いますよ!笑)なんせ自分の興味あるものだけ摂取しているだけでも充分楽しかったので、、、。

そんな私でも、他者からの言葉を鵜呑みにしないで自分の興味・関心に擦り合わせながら他者の言葉を飲み込む方法を見つけたことによってこのハードルを乗り越えることができました。(その方法はまた詳しく書きますね!)


自分が今持っている興味・関心を満たすだけで充分だと思っていた私ですが、ハードルを超えてから他者と話しておすすめされたものを鑑賞してみたら「ありゃ?意外と面白い、、、あっこのシーンて私の好きな作品とよく似てる」なんてこともあったりして「全然観てこなかったけどこのジャンルの作品、他のもみてみようかな?」といった感じで新しい興味・関心事が「倍!さらに倍!」みたいな感じで増えていって鑑賞したいものがいっぱいありすぎてもう一人私がいてくれたらいいのに〜といった感じで日々を楽しんでいます。


そしてこのハードルを超えたことは鑑賞というジャンル以外にも影響を及ぼしています。

「オタク的鑑賞」をするくらいですから当時の私には柔軟性はほとんどありませんでした。

自分の行動に対して誰かに意見されると「あぁん?💢」と思うか「はぁ、、、(ポカーン)」となるばかりでとてもその意見を受け入れる体勢は取れませんでした。

しかし鑑賞において他者の意見を取り入れることにプラスのイメージを持つことができたおかげで「ふむ、、、一旦人の意見も試してみるか!」くらいの受け入れ態勢をとることができるようになってきました。

ここで注意点!!YOKU STUDIO鑑賞部門では鑑賞においても、上記のような生活全般においても人の意見を受け入れる際に「全て受け入れる」ことはお勧めしません。人に意見されたことを鵜呑みにして行動することは自己の主体性を弱めます。

「ミーハーなオタク的鑑賞」をお勧めしている私としては、オタク的な主体性のを維持して、他者からの言葉の中でも「これは、、、まぁよし!」、「これはあんまりやりたくないなぁ」という自分の中の感覚は大切にしていきたいです。

その感覚を持った上で「これはなんとなく興味あるかも?」というこれまた自分の中からの感覚をもとに他者からの言葉のどこをどう取り入れるかという自分にとって心地いい塩梅を探る手助けを「鑑賞」という行為を基にしながらお伝えしていきます。



次回は、「オタク的鑑賞」をしている人の最初のハードル!「他者からの言葉を受け入れる」をどのように行なっていくのかを具体的にお話ししていきます。乞うご期待!!




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