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YOKU STUDIO的『ダンジョン飯』考察①


こんにちは!周りの人たちが花粉でズビズビ入っている中、私だけなんならいつもより元気なこの季節…何も悪いことしてないのになぜか後ろめたく感じてしまいます。笑

今回は今年1月からアニメ化もされ注目されている『ダンジョン飯』についてYOKU STUDIOの理念をもとにした考察をしていこうと思います。


「ちょうどネトフリでアニメ見始めたところ!」であるとか「コミック気になってたけどまだ読んでなかったな」という方!!

この記事、ネタバレあります!!

そういった方でも「そんなのかんけぇねぇ!!」という小島よしお精神がある方はぜひ続けて読んでいただけると嬉しいです。





あらすじ




それでは『ダンジョン飯』のあらすじについて簡単に…


舞台はダンジョンがあり、エルフやドワーフ、ハーフフット、トールマンといった様々な種族が存在する世界。

ある村の墓地からかつて栄華を極めたとされる黄金郷の王を名乗る一人の男が姿を現す。

男は、黄金郷が狂乱の魔術師によって丸ごと地中深くに囚われており、狂乱の魔術師を倒したものに自身の国の全てを与えることを告げると塵になって消えてしまう。

数年後、墓地はダンジョンの入り口として栄え始めていた。

そのダンジョンの最深部近く…トールマン(人間)のライオス率いるパーティがレッド°rゴンとの戦闘で全滅しかかっていた。原因は、空腹。

あわやレッドドラゴンに食べられる!!というその時ライオスの妹ファリンが身を挺して帰還魔法を放った…。

地上で目を覚ましたライオスは荷物をうしない、仲間二人はパーティを辞めることに…

そして妹のファリンをドラゴンの胃袋の中に置いてきてしまっていた。

残った仲間、エルフの魔法使いマルシルとハーフフットの鍵師チルチャックとの3人でファリンを助け出すことを決意するのだが、なんといってもお金がない…

ダンジョンに潜る上で一番大事な食料が買えない!よし!魔物を狩って食べながらいこう!!

早速狩った魔物を食べようとするものの、魔物ってどうやって調理するん??という一向に助け舟を出したダンジョンに住んで10年になるというドワーフのセンシがパーティに加わり狩って食って、食って狩る冒険が始まる…。


…といったところでしょうか。あらすじのくせに第一話分を割としっかり書いてしまった。笑


設定から見るとRPGが好きな人には馴染み深い要素が多いように思えますが、この物語は一話の半分くらいは料理を作っている描写で進みます。笑

ゲームをプレイしている時は攻略を目指してまっしぐらに突き進むのでキャラクターが口にするものといえば毒消しの薬とか、回復薬ぐらい…

よくよく考えたらすぐはらぺこになるじゃん⁉︎

そこに思い当たった作者の九井先生…ぜったいRPG好き!


そんなリアルな面とダンジョンというファンタジックな面を、細いけれど迷いなく引かれるペンタッチで描かれたキャラクターたちが一つの世界に繋げていきます。





欲は危険?





この物語をYOKU STUDIO的に考察しようとするときに重要になるのが「欲」です。


『ダンジョン飯』に登場するダンジョンの中には悪魔によって選ばれた者が迷宮(ダンジョン)の主人となるものがあります。

主人に選ばれた者は悪魔の影響により無限に「欲望」を抱き続けるようになります。

無限に湧き続ける欲望は悪魔の大好物。

迷宮の主人の精神が壊れるまで欲望を煽り最後にはそれを食べて主人は廃人と化します。


YOKU STUDIOでは欲望を喚起することで自分の人生をより「欲(よく)」していこう。それがひいては周囲の人間の欲望の喚起にも影響を与えていくことで自分と周囲の相互にとってよい循環が起きることを目指しています。

YOKU STUDIO的には「欲」を持つことを好しとしています。


一方のダンジョン飯では迷の中で欲を持つことは危険とされています。

現実世界において欲を持ったところで何かアクションを起こさなければその欲望は満たされませんが迷宮の中では「水が欲しい」「体を休めたい」と願うだけで水場が現れ、寝泊まりできそうな部屋が見つかります。

迷宮内で欲を持つことが危険視されるのは、ストーリー的には悪魔の思惑に乗って欲望を抱き続けると最終的に廃人になってしまう(もっと怖いことにもなるんですが…)という危険性もあるのですが、YOKU STUDIO的な視点から考えると、本来活動するためのエネルギーに過ぎなかった「欲」が欲した瞬間に叶ってしまうことにこそ危険性があるのだと考えます。





欲ってなんだ?





YOKU STUDIOで言う「欲、生きる」は自らの欲に従って生活を動かしていく考え方ですが、ダンジョン飯のように「欲したら叶う」とい世界はなんだか不健全に感じる…。なんでだろう…?

そもそも「欲」はフロイトで言うところの「欲動」のようなただのエネルギーの塊に「言葉」を使ってエネルギーを使う方向性を定めたものだ…ってなことを精神分析の大家であるジャック・ラカンという人が言っています。


私たちには常にどう使ったら良いのか決まっていないエネルギーがあり、「彼女が欲しい」「美味しいものが食べたい」といった言葉を使って方向性を定めてあげることで初めてそのエネルギーを使って動き出すことができます。

「欲」は「動く/生きる」ためのきっかけとなるエネルギーに過ぎず、満たされるために本当に必要なのは欲を満たそうと動く/生きることなのではなかろうか…?

「あの可愛いワンピース着てみたいけど、今より痩せてないときれないなぁ…はぁ痩せたい」と思った瞬間、ウエストや脚がキュッと引き締まった。

「やったぁ!!じゃああのワンピースが欲しい!」と思った瞬間ご所望のワンピースが現れる。

「え⁉︎じゃあじゃあ、あの服も欲しいし、あの高級ブランドのバッグも欲しいし、あの靴も…あれも、これも…」と願ったものは全て次々現れる。

そんなことを繰り返していくと、「なんだかもう満足」「欲しかったものがなんだか魅力的に思えない」…となったところで悪魔にガブリッ!です。


私がダンジョン飯で面白く感じたのはライオス一行が欲を満たすために自らで動きまくっていた点です。(お金がないという理由もありましたが…)

「魔物が好き!好きすぎて食べてみたくなった(魔物食べて深層まで行ったらファリンも救えるかも⁉︎)」というサイコパスライオスの欲を満たすためであった魔物を狩る!狩る!狩る!

それをセンシが「狩った魔物は美味しくいただくことで命に感謝したい」という欲をもとに美味しく調理する。

魔物なんて食べたくないけど「ファリンを助けたい!」という願いを叶えるために支部しまくりながらも食べるマルシル(そして意外と美味い…)。

「無事に仕事を終えて地上に帰りたい!」と思って食べたら意外と魔物も美味しい気がするチルチャック。

それぞれ違った欲を満たすためにちゃあんと活動が伴っています。


死にそうになりながらも頑張って狩って、くたびれた体でも調理してより美味しくして、センシの「完成じゃあ!!」の声と共に食べる魔物はくたくたの体と心を癒しお腹を満たします。

当然、時間が経てばまたお腹が減ってしまうけれど、欲を満たすために動き、その結果満たされ、また欲が出てくるというこの一連の流れが、「ラスボスを倒す」「ダンジョンを攻略する」と言った最終目標ばかり気にしがちなRPGゲームに舞台であるダンジョンで繰り返されることに絶妙な現実感を感じられてファンタジーな世界の話なはずなのに共感してしまうというところが実に面白い。


まだまだ語れちゃいそうなので次回もダンジョン飯についての考察をお送りしようと思います!一ヶ月後にまたお会いしましょーう!




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