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YOKU STUDIO的「欲、適応しよう」の考察 ④


皆さんお疲れ様です。Oです。

引き続き、「欲、適応しよう」における「自分に適応する」というテーマについて、
精神科医・斎藤 環先生の著書『「自傷的自己愛」の精神分析』(KADOKAWA 2022年)を読んでいきたいと思います。


(前回の記事を見て頂いた上で読んで頂けると幸いです!)

















今回は「健康的な自己愛」「自傷性のやわらげ方」を見ていきたいと思います。

前回の記事にも書いたように、著者は、自己愛とは「自分自身でありたい」欲望である。その欲望の中には「自分が好き」も「自分が嫌い」も「自分がわからない」もすべて含まれていて、生きていく上で必要不可欠な要素であり、健康さの証とすら言えると述べています。そして、その自己愛の捻れが本のタイトルにもある「自傷的自己愛」になるのではないかと…


まずは「健康的な自己愛」とはどういったものか見ていきましょう。






・「健康的な自己愛」



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「健康的な自己愛」は、ほとんど「成熟した自己」と同義に近づいていきます。(中略)精神科医の中井久夫氏は、健康な精神のあり方を「自分が世界の中心であると同時に世界の一部に過ぎない」という、一見矛盾した認識が両立している状態、としています。ここでもし「世界の中心」意識が膨れあがれば悪い意味での自己愛性パーソナリティになってしまいます。一方「世界の一部」という認識しか持てなければ、自己卑下によって、それこそ自傷的自己愛のような捻れを抱え込んでしまうでしょう。(前略)成熟した自己愛を構成する要素には、すでに述べてきたように、自己肯定感のみならず、自己批判、自己嫌悪、プライド、自己処罰といったさまざまな要素が含まれます。その意味で自己愛とは、自己を自己たらしめるためのポリフォニックな力動です。ここでいうポリフォニーとは、ロシアの思想家バフチンの言う意味でのポリフォニーであり、異質なものの調和に依らない共存を意味しています。だとすれば自己愛とは、「自分自身であり続けたい」というポリフォニックな欲望のプロセスのことを指す、とも言えそうです。


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「自傷的自己愛」の精神分析/斎藤環





私は、この部分を読んでから、悩んでいる時や極端な思考になっているかもしれないと感じた時、今は「まるで自分が世界の中心にいる/もしくは世界の一部のような」感覚はどちらだろう(または両立できているかどうか)と、立ち止まって考えてみる事が多くなりました。そうすると、思考の拗れや過剰さみたいなものを自覚できたと感じる時があって、思考の堂々巡りを回避したり、選択肢が増え可能性を残せるような余白が少し生まれる気がしています。


そして、成熟した自己愛とはさまざまな要素が含まれるということ、また下記の「もっとも高度に達成された自己愛」の安定感が現時点での目指したい「自分に適応する」に近いと感じました。





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ただ、もっとも高度に達成された自己愛は透明化する、と考え方もあります。(自己愛)の最も健全で望ましい形は、それが空気のように透明化することかもしれません。もはやいちいち「自分が好き」とすら思わないほど、安定した自意識の基盤になってしまうわけです。この境地に至ってしまえば、自己肯定も自己嫌悪も分離できないようなポリフォニーが実現しているのかもしれません。


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「自傷的自己愛」の精神分析/斎藤環






・「自傷性」のやわらげ方





次は、「自傷性」のやわらげ方について紹介していきます。

やわらげ方、とありますが、これをやったらOK!なテクニックというよりかは、以下のようなスタンスであると著者は述べています。




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これは「自己肯定感を上げる方法」ではありません。ですから、試して見てもすぐに幸福感が高まったりはしないと思います。また、周囲の人の協力も必要なことが多いので、誰でも今日から簡単に実行できる、というわけではありません。大まかな行動指針や今後向かってほしい方向性、みたいな、たいへん地味な話です。


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「自傷的自己愛」の精神分析/斎藤環





①環境調整尊厳を傷つけられない環境に身を置く。

自傷的自己愛の原因として、学校や職場、家族の関係性など様々な場面における尊厳の傷つきが挙げられています。自分の価値を繰り返し長期的に否定され続ける経験が自傷性を高めていくのでは、ということから「自分の尊厳が傷つけられる」事態に慣れてしまわない事。



②対人関係家族以外に「親密な対人関係」を持つ。

孤立した状況で自傷性をこじらせていくような悪循環にならないためにも、今ある対人関係を大切にしつつ、新たな対人関係の獲得も試みる。


③損得勘定損得で考えてみる。

自傷的自己愛者の多くは自責感が強く、しばしば自分が損をするような行動をあえてする傾向があるため、そういう時はあえて損得で(可能性を客観的に)考えてみる。


④「好きなこと」をする。

「やるべきこと」より「やりたいこと」を優先してみる。「やりたいこと」や「趣味」を見つけるとなると難しい場合は「すごく嫌ではないこと」(散歩、家事、ペットと遊ぶなど)をしてみるのもいいそうです。


⑤身体のケア

健康に配慮したセルフケア(歯科に通院し歯石を除去してもらう、眼鏡を新調し視力を矯正する、マッサージに通い体調を整える、運動習慣など)や、やったことに対する事実が、自己愛を安定させる近道になる。


対話における修復

上記に併せて、著者が普及・啓発の活動をしている「オープンダイアローグ」(1980年代にフィンランドの精神科病院で開発された統合失調症のケアの手法)も自傷的自己愛の修復にも役立つのではと紹介されています。


(オープンダイアローグは、先ほど「健康的な自己愛」の部分でも出てきたバフチンの「ポリフォニー論」の影響を受け、その考え方を取り入れている手法でもあります。↓の記事でスタッフ・中の人が詳しく解説してくれています)















今回の「自分に適応する」というテーマを考えようとすると、「だめな自分」(全体ではなく一部分かもしれない)が立ち上がり、どうにも違和感があったのですが…

当著を読み、「自分自身でありたい」という欲望の視点や、ネガティブにもポジティブにも偏らず固定化やキャラ付けをしすぎない、適度な自己愛を持つことの大切さを知り、前向きにとらえられるようになったと思います。うまくいえないのですが、私にとって「自分に適応する」は「この自分でやっていく」(変化・成長していくものである)と思うととても気が楽になりました(笑)


習慣化してしまった思い癖(自傷性など)は、ついふと猫背になってしまうから、姿勢を意識して都度正すような気持ちで付き合っていきたいですし、ぜひ「もっとも高度に達成された自己愛」のような安定感のある状態を目指していきたいです!



ここまで読んでくださりありがとうございました!

次回は、「環境(他者)に適応する」について考えていきたいと思います。またぜひよろしくお願いします!





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