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YOKU STUDIO的「欲、適応しよう」の考察 ②


みなさんお疲れ様です。Oです。
今年もそろそろ折り返しですが、いかがお過ごしでしょうか。

6月というと、占いで下半期の情報が配信されたり、月日の経つ早さに震えることもありますが…
紫陽花が賑やかになり、少しずつ夏の予感がして私は好きだったりします。


(調べてみたところ7/2が1年のちょうど真ん中になる日で「真ん中の日」という記念日があるみたいですね!)


前回の考察①はこちらになります。お時間ございましたらぜひ!






















今回は「欲、適応しよう」について、自分軸・他人軸の観点から体験談をまじえて考えていきたいと思います。


まず、自分軸・他人軸についてスタッフの「中の人」がわかりやすく書かれた記事がございますので、こちらを踏まえた上で当記事をご覧頂けたら幸いです。
























■自分軸における「適応」







適応について、まず自分軸に近い考えとして「自分に適応する」という観点で考えてみたいと思います。ここで体験談を。


昔の職場に、中途入社のTさんという同僚がいました。今思うと、当時の職場は1人1人に対する仕事量が多く非常に煩雑だったように思います。そのようにせわしなく過ごしていくなかで(起因は定かではないですが)次第にTさんの感情的な振る舞いが目立ち始め…「それおかしくないですか?」「やりたくないです」「こんなに頑張っているのに(評価されないetc.)」「あの人はどうして」「どうして自分ばっかり」など、ひやひやするようなストレートな発言や振る舞いが多くなり、基本的なスタンスとして仕事熱心なTさんご自身や、周囲の方達が疲弊していったように感じる時期がありました。


その頃印象的だったのが、Tさんとお話しする機会があり、ご自身が感じている・そう見えている視点では「社内で孤軍奮闘している」ということ、他の場面で、Tさんをサポートされていたパートの方が「実は(Tさんに)敵と思われないように気を張っていて…」とぽろっとこぼした言葉でした。もし、Tさんが「自分に適応する」傾向が強かったとして。そのブレなさゆえに自分以外の他者や環境が「敵」に近い形として確立され、周囲とのコミュニケーションやコントロールの効かなさに摩擦が生じやすい状態になっていたのではないでしょうか。


Tさん(+Tさんが思う味方?) VS  他者や会社自体(敵)


あくまで私の解釈となってしまいますが、Tさんが見ていた世界の構造を考えてみるとこちらが近いでしょうか。1人で頑張っていて自分以外はほぼ敵となると、確かに常にどこか臨戦態勢になりやすいですし、周囲の人からすると手を差し伸べたり歩み寄ろうと思ったつもりでも「敵」として見えてしまうなら警戒心や緊張感が生まれてしまうかもしれません。


「折り合いをつける」というと簡単ですが、個人の持つ主張や信念と、周囲とのコミュニケーションのバランスについて考えさせられるきっかけの一つでした。







■他人軸における「適応」








次に、他人軸に近い考え方としての「環境(他者)に適応する」を見ていきましょう。


突然ですが、みなさんは「はやく人間になりたい」と思わず呟いてしまうことはありますか?「環境(他者)に適応する」を考えた時になんとなく、昔友人と冗談半分で話したことを思い出しました(ちなみに「人間やめたい」派の友人もいました)


私はどうも自分自身を「何事もあまりできない」と自分で定義づけやキャラ付けしてしまう(これもある意味自分軸であり、漠然としたこだわりなのかもしれません)ところがあるようで。


それもだいぶ軽減してきたように思いますが、今思うとそれがうまいことエネルギーになったようなこともあれば、チャレンジが難しくなったり、余計な緊張感に繋がることもある気がしています。


今回は、昔の「できないからこそやらなくては!」と力んだり、自分以外の他者や環境が正解であること、それにこたえよう・合わせようとすることへの癖が強かった私の体験談をしていこうと思います。



私が新卒で会社に入社して、数ヶ月くらいの頃の話です。初めての所属部署は営業部で、その営業であり直属の上司(異業種から転職されてそこまで経っていなかった)のサポートをする営業事務の仕事をしていました。そこは、設立したばかりの部署で体制がほとんど整っておらず、また新人研修らしきものもなかったと記憶しています。そのため自分で聞いたり調べながら上司と仕事をうまくやっていけたらと、なんとかやっていこうという気持ちでいました。ですが、社会人になりたてのいまいち何がわからないのかもわからない時期に、確認をするにも上司は外回りなどで不在が多く、連絡手段は当時メールと電話のみで忙しいのか繋がらない。繋がっても「一度説明したはず」「どうしてわからない(できない)」など…(過激なのは割愛しますが)あくまで私の視点となってしまいますが、当時は疑問を抱きながらも、目の前の業務に精一杯でミスをしないようにと仕事と上司に対して常に緊張状態で仕事をしていました。


幸い心配して声をかけてくださった方々のおかげもあり後に異動になったのですが、自分のだめさにしか自信がなかったその時の私は、上司からの注意やダメ出し=他の方も私のことを「そう見ているのかもしれない」という思い込みがどこかあり、その異動も島流しに近い気持ちだったのを覚えています。(異動した先で様々な方と接していく上で、その思い込みも緊張感もほぐれていきました)


今回の場合は、私の立ち回りの下手さや経験のなさもあったかと思いますが、社会人になりたての私は、私から見た他者(上司)や環境を意識すればするほどその存在が大きく立ち上がってしまい、それにうまく対応や適応できない私はだめだとなっていたように思います。







■まとめ







以上の体験談が「自分に適応する」と「環境(他者)に適応する」の「適応」がそれぞれ偏った結果、どこかに無理が生じてしまったのでは?というケースでした。


私たちが普段当たり前のように、"こうなんだ”と思っていたり見えていたり既定している対象は、本当に”そう”なのでしょうか?


実はそれは自分を通して作り出したものや解釈なだけで、もしかしたらその「自分」や「環境(他者)」や「社会」は幻なのかもしれません。そしてそれに伴う役割や責任感や「こうしなければ」なども、自分で作っていて自分で選んでいるとしたら。そういった視点があることで、過去だったりこれからの様々なシーンにおいても、自分自身に対して、または環境や他者との関わり方にも様々な可能性や選択肢があること、再解釈の余地を考えられるかと思います。


ここまで読んでくださりありがとうございました!



ここで突然ですが、この記事を書きながら思い出した曲があるのでぜひ紹介させてください。


仕事などで悩んでいた時期、この曲を聞いてよく励まされていました。ももクロが好きな同僚とライブに行った時、この曲を聞いて一緒にみっともないくらい泣いたのを覚えています笑
















 



誰もひとりなんかじゃないひとりになろうとするだけなんだ





 

白金の夜明け/ももいろクローバーZ






いつ聞いてもしみますね……グッとくるところはたくさんあるのですが、今回真っ先に思い出したのは↑の箇所でした。とってもいい曲なので、1度聞いて頂けたら嬉しいです✨


次回は、「自分に適応する」について考えていきたいと思います。またぜひよろしくお願いします!





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