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「悟り」の新しい定義 〜 それは人生をいちばん楽しめる状態かも
今回のテーマは「悟り」です。仏教の開祖であるブッダが、厳しい修行の末に、あらゆる煩悩から解脱した状態、人間的な苦しみから自由な状態としての「悟り」の境地に至った、という話はあまりに有名です。
ただ現代において、この「悟り」という言葉が使われる時には、なんとなく皮肉な意味合いがそこに含まれているように思うのです。
・「悟り」=「諦め」?
「さとり世代」という言葉がありますね。
「ゆとり世代」の次の世代、ざっくり言うと90年代-00年代生まれの日本の若者を指す言葉です。
欲がなく、受け身で、どこか達観した目線を持っている印象でくくられがちな世代。
この「さとり世代」という言葉には、現代における「悟り」のイメージが、まさに反映されているように思います。
自分の望みを持つことや積極的な冒険をすることを諦めた状態=「悟り」、というように受け取られている事例は、とても多いです
。
でも、「悟り」の境地にいたることとは、無欲で感情の揺らぎがない状態、生活における様々な楽しみを感じることを諦めてしまった状態になることなのでしょうか。
もしそうだとしたら、あなたは「悟り」たいですか?
ブッダが捉えていた「悟り」のあり方も、けっして「諦め」などではありません。
たとえば、「悟り」の境地を表す例としての、ブッダの「涅槃図」。あの図像に描かれた、入滅する(亡くなる)直前のブッダからは、「諦め」とは真逆の、まるで自然のなかでお昼寝を楽しんでいるような多幸感を感じます。
「悟り」と「諦め」は、本当はまったく違うものなのです。
・「悟り」は可能性に満ちている
「悟り」とは、むしろ、自分の望みや喜びを諦めないことです。
自分の可能性を阻んでしまうものとしての様々な執着から自由になって、純粋に世界と向き合うことのできる状態なのです。
そこから見えてくるのは、自分、他者、世界全体が本来持っていたはずの、とても豊かな可能性です。
誰もが、会社や家族といった組織における規範や、複雑な人間関係からくる感情のもつれにとらわれて、自分の生き方を見失ってしまうことがあります。
他者に対する過度な攻撃性、恨みや憎しみなどのエネルギー。自分だけが良い思いをすればいいというエゴイスティックな気持ち、またはその逆に、他者に重きを置きすぎて自分を犠牲にしてしまうマインド。
こういった感情やエネルギーは、人間を苦しめる「情」。
前回までの投稿でお話してきた、「手放し」の対象となるマイナスな想念です。
・「悟り」に修行はいらない
「悟り」は、まさに「手放し」の先にあるものです。
行動の禁止でもなく、想念の抑圧でもなく、ただただ自分の可能性を阻んで苦しめている不要なエネルギーを、広い世界にふわっと投げ出してみる。
その後に得られるのは、自分自身に素直に向き合うことのできる、とても自由な感覚です。
自分の可能性を最大限発揮することのできる状態としてのこの「悟り」には、誰でも無理なく到達できます。
ブッダが厳しい修行の末に「悟り」の境地に至ったように、かつては「悟り」というものが、限られた人しか到達できない状態、山行や滝行などで過酷な体験をしないと得られない状態であると考えられてきました。
けれど、この2021年。「風の時代」に突入し、人々がアセンションに向かっていく上で重要な時期とみなされている現在では、そのような修行はもはや必要ありません。自分自身と向き合って、ネガティブな想念から自由になっていく、「手放し」のワークを日常化させるだけで、あらゆる人々が「悟る」ことができるはずなのです。
・素直な感受性から喜びが生まれる
前回も少しお話しましたが、「手放し」の先、つまり「悟り」に至った時に待っているのは、無欲な聖人君子のような状態ではありません。
むしろ、感受性が素直になって、これまで気づくことのできなかった小さい幸せを、たくさん発見できるようになります。
「悟り」から得られる「幸せ」は、あなたやその周囲の人々にとっての「幸せ」であれば良いのであって、なにも立派で崇高なものである必要はありません。
たとえば、たまたま手に入ったスナック菓子が美味しかったとか、友達としょうもない話で盛り上がって楽しかったとか、道端であった猫がかわいかったとか、そんな些細なことで良いのです。
素直な感受性で、自分や他者や世界を見つめ、そこから毎日を楽しむきっかけをたくさん発見していくことできる状態が、「悟り」です。
つまりそれは、あなたが人生をいちばん楽しめる状態である、と言うことができると思います。こう聞くと、あなたも「悟り」たいって思いませんか?
「悟り」は特別なものではありません。誰でも気軽に到達でき、毎日の生活に生かしていくことができるマインドです!