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「カルマ」って本当にあるの?


みなさんは、「カルマ」を信じますか?

「カルマ」とはサンスクリット語で「行為」という意味。日本語では「業」と訳されます。

「浄化」と「手放し」の間にある明確な違いについてまとめた前回の投稿では、「浄化」の対象となるものとして、霊的身体層に刻まれた傷やゆがみとしての「カルマ」がある、とお伝えしました。


仏教をはじめとするインドの宗教には、過去(世)の行いとしての「カルマ」が、いまここ、現世に生きる自分に返ってくる、という考え方が見られます。


そして、現代スピリチュアリズムにおいても、その影響力はかなり根強いものです。


たとえば前世で、欲望にまみれた生活をしていて、他の誰かを傷つけるような行いをすると、それが現世に生きる私に罰として返ってきて、逆に他者に傷つけられる、というような考え方。


また「家系のカルマ」という考え方もあります。


これは、ご先祖が犯した罪が、その子孫に返ってくる、というもの。


原因不明の不運や体調不良などの、決して逃れられない宿命として、「カルマ」を捉える風潮は、いまだに根強いです。


そして、それを清算するための学びが、私たちが現世に生まれ落ちた理由としての学びなのだと解釈されます。


でも本当のところ、現代の私たちは、魂レベルの因果応報に、支配し続けられなければならないのでしょうか?



・「カルマ」は私たちの意識に属する



「カルマ」って本当にあるの?、という問いに対しての、YOKU STUDIOの考える回答は、「私たちがあると思えば、ある」。


逆に言えば、「私たちがないと思えば、ない」。


つまりどういうことかと言うと。私たちの意識が変化すれば、カルマ自体が存在しなくなる、ということです。


アメリカの著名なチャネラー、ダリル・アンカが伝える、宇宙存在バシャールのメッセージにおいても、「カルマ」は私たちの意識に紐づいているということが語られています。




 

自分が体験している真実というものすべては「自分が創り出している」ということに気がつけば、もうカルマ的な結びつきという考えを信じる必要がないわけです。

自分が選ぶ、あるいは選ばない自由があるということに気づくと、それがあなたのカルマを切ることにもつながります。



 

(ダリル・アンカ『バシャール・ペーパーバック1― ワクワクが人生の道標となる』、関野直行訳、 VOICE、2002年、31頁。)


バシャールが言うように、私たちがこの世界を創り出しているという視点に立てれば、つまり「目覚め」を経験すれば、もうカルマというものは、意味を持たなくなります。

「カルマ」というものは、現世に生きる私たちを永遠に縛りつける魂の鎖ではありません。


私たちは現世での学びのために「カルマ」を精算しなければならないんだ!という、ストイックな態度も、この「風の時代」には、もはや必要ありません。





・「文脈づけ」が「カルマ」を作る


ここで考えたいのは、「カルマ」の存在理由です。


「カルマ」が私たちの意識に結びついたものだとしたら、なぜ私たちはそのようなものを作り出し、それによって自分を縛ってしまうのでしょうか?

そこには、私たちの「文脈づけ」の欲望が関わっているのだと、YOKU STUDIOでは考えています。


自分が過酷な現実に直面した時。たとえば、思いがけない大怪我をした時や、理不尽なリストラにあった時など。私たちは、「なんでこんなことになったんだろう。。」と、やり場のない気持ちに苛まれがちです。


私たちはしばしば、そのやり場のない悲しみや苦しみを和らげようとして、過酷な現実が自分にふりかかった原因を、想定しようとします。


「自分が昔、あんなことをした罰だ」、「過去世で誰かにひどいことをしたせいに違いない」、「ご先祖の悪行のせいだ」など。そのような現実が生じた原因が、自分の過去、過去世、あるいは先祖などがあると想定して、自分を納得させようとする心の動きが生じるわけです。


その苦難がまったくの偶然に自分にふりかかってきたのだと思いたくないから、因果律のストーリーの上にその苦難をのせて、「文脈づけ」しようとする。


辛い現実に直面した時、自分を納得させるために作り出した因果律は、傷やゆがみとなって、私たちの霊的身体性に影響を与え、魂レベルで刻まれます。


このような因果律による「文脈づけ」こそ、「カルマ」の生成原理なのだと考えられます。


つまり「カルマ」とは、事後的に、アリバイ的に、私たちの意識が作り出してしまったストーリーだと言えるのです。







・「偶然」を受け入れ、生かしていく時代



これまでのスピリチュアルにおいては、時にカウンセラー側が、クライアントの悩みを聞いた時に、「あなたのカルマは〜です」などと語って、そのネガティブな「文脈づけ」に一役買ってしまうことが多くありました。

藁にもすがりたいクライアントは、自分が受けている理不尽な苦しみの理由を、過去(世)やご先祖に紐づけられて、宿命的な「答え」のように提示されると、その苦しみが和らぐような気がして、その「文脈づけ」をすぐに受け入れてしまうのです。実際のところ、それはクライアントのその後の人生を縛りつける鎖にしかならないのに。


これからの時代のスピリチュアルは、なんらかの現実を、原因ー結果の因果律に結びつけるのではなくて、その偶然性を受け入れていくことが、重要になっていくのだと思います。

この世界は、もともと運命づけられていた通りに動いているのではなく、偶然に満ちています。その偶然性を受け入れ、世界をあるがままに、フラットな目で見つめていると、自分がどのように動いていけばもっとも満たされるか、もっとも生き生きと過ごせるかが、自然と見えてくるはずです。

「カルマ」という「文脈づけ」は、一見私たちの心を救ってくれるように見えるけれど、実はその偶然性のポテンシャルを奪ってしまいます。


私たちの運命は、いつも「いまここ」から変えることができるという認識が、これからの時代を生き抜く鍵になる。

そのような認識を示すものこそ、これからの時代のスピリチュアルなのだと思います。


次回は、「風の時代」におけるポジティブな「カルマ」の作り方についてお話します!

「ポジティブカルマ」って何?と思われる方、ぜひ次回にご期待ください。



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