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錬金術師みたいに鑑賞しよう!
こんにちはみなさん!
私、ジブリの最新作を公開翌日に観てきました!はぁ〜駿さんの新作を映画館でまた観れるとは!!
・データベース消費を超える
ジブリ語りはまたの機会にして、今回は前回お話しさせていただいたデータベース消費を超えた鑑賞についてお話ししていきます。
前回、他者の言葉を取り入れた鑑賞の入り口としてデータベース消費を取り入れることを提案しました。
しかしずーっとデータベース消費をするのはお勧めしません。データベース消費を活用すると確かに自分好みの作品に永続的に出会えます。「なんだ、たのしいやんか?何がダメなの?」となりますよね。
私は鑑賞の真の醍醐味はさまざまな作品がジャンルを超えてまったく新しい考え方や視点を生み出すことだと思っています。
データベース消費は鑑賞の入り口としてはとても便利ですが、「ファンタジー」「エルフ」「魔法使い」「剣」「金髪イケメン」(←誰の好みかなぁ?笑)など作品を要素に分解してしまいます。
データベース消費を活用した鑑賞を続けていると要素の分解においてはプロになれるでしょう。化学者のように元素に分解して世界を見ることが得意になります。
しかし、私がみなさんにおすすめするのは作品のジャンルや要素という枠を外して混ぜ合わせて今まで自分のなかになかった思考、視点を生み出す錬金術師のような鑑賞です。
錬金術師ときくと私はワクワクしてしまうのですが、これはファンタジー好きだからですかね?笑
私の持論では、この世にある「作品」といえるものには全て「物語」があります。それを制作した背景、「作品」の意図が伝わりやすいように考えた表現方法など、さまざまな「物語」が縒り合わさることで「作品」はできています。
その中でも優れていると言われるような「作品」は複数の物語の「縒り」が洗練されているのだと思います。
このような事は、アーティストやデザイナーといったクリエイターにのみ当てはまることではありません。日常生活においても私たちは複数の物語をベースにしてそれらを独自に縒り合わせて生活しています。私で例えれば、「女性」「美大生」「書店員」…など掘り下げればもっと様々な物語を私の感覚で縒り合わせた世界の中で生きています。
・錬金術師のすゝめ
では、錬金術師のような鑑賞をお勧めする理由についてお話しします。
データベース消費は「分解」する鑑賞方法だとお話ししてきました。「分解」することにのみ得意になってしまうと、個々の世界を認識する事はできても、それらの集合体としての大きな一つの世界を認識するのは難しいでしょう。データベース消費に慣れると世界を無意識に裁断しながら見るようになります。
錬金術師のような鑑賞は、世界を構成する要素を縦横無尽に混ぜ、足して、引いて…その結果、「欲、生きる」につながる気づきをもたらします。
ここまでの話では「データベース消費はあかん!」と言っているようですね。汗 私がお伝えしたかったのは「データベース消費だけではつまらんで!」ということなのです。
子供の頃、初めて絵の具を買ってもらった時箱の中にチューブが並んでいるのを見るだけでも楽しかったのをおぼえています。しかし、だんだんと他の色も使ってみたくなり、絵の具を混ぜていろんな色を作ることが好きになりました。何度もやっていくうちに大体この色とこの色を混ぜれば望んだ色になるだろうという見当がつくようになっていきましたが惜しいところまでいってもどうしても思い描いた色にならない事がありました。
例えば「肌色」。大抵は「白+赤+黄色」で作ったりしませんか?私が辿り着いた混色は「白+黄色+蛍光ピンク」でした。(蛍光ピンクの絵の具持ってる子供はなかなか珍しいですけどね笑)そして意外にも青をすこーし足すと「これだ!!!」という色になったのです。
データベース消費は絵の具で例えればチューブに入った原色そのままの色です。
いまや画材売り場に行けばものすごい色数のチューブに入った絵の具を見る事ができますが、それらのいろがじつは12色セットでも作り出せるとしたら面白いと思いませんか?
むしろ、全ての色を自分が「これだ!!!」と思える塩梅で作り出せるので自由度は高いです。
錬金術師のような鑑賞は絵の具の例えでいう混色にあたります。
しかしこの混色を行うには自分の望む色がどんな要素で構成されているかある程度知っている事が必要です。この構成要素を知る段階がデータベース消費をしている段階です。
「ただ見ていてたのしい」段階から、「自ら創り出していることが楽しい」段階に進むためにはデータベース消費を経由することが必要です。
・「錬金術師のような鑑賞」って?
じゃあそこまで勧める錬金術師のような鑑賞ってどんなものでしょうか。それは、
「観つつ、考え、感じる鑑賞」です。
皆さんは何かを鑑賞しながら、その作品について考える事はありますか?
「ただただ観ている」、「主人公に同化している」…など様々あると思います。「観る」ことは当たり前として、「考える」とは?
国語や現代文の問題では徹底して「この時の作者の気持ちは?」とか「この言葉は主人公のどんなに感情をあらわしている?」という聞き方をしてきます。私的には、「なんだっていい」と思っています。爆
大切なのはその文章からどんな感覚を感じ、その感覚について自分はどう考えるかだと思っています。考えることが他の世界を自分の世界の中に縒り合わせるきっかけになると考えるからです。
かといって「主人公に同化する」という見方はお勧めしません。
主人公はあくまで他人であり、私自身とは別の世界で生きる存在です。
このように他者は他者として認識する事でその主人公の世界から自分自身の世界に縒り合わせたい要素を冷静に選び取ることができます。主人公や作品の世界観に没入してしまうと自分にとってはただただ余計な要素まで選び取ってしまいかねません。
次に「感じる」とは?
「考える」段階で他者の思考を知り、うまくいけば自分の世界の新しい要素として他者の世界を取り入れることができでしょう。
「感じる」段階では他者の世界観や新しい自分の世界観を体感します。
「感覚」というとなんだか曖昧なものだと感じる人もいるかと思いますが、結構バカにできません。
例えば新しい職場での研修で、教えられたことを頭の中で反復しながら「大体わかったかも」と思った時と、実際に業務をこなしながら「大体わかったかも」と思うのではどちらが身についているでしょうか?後者ですよね?鑑賞においても「ただ観る」で終わってしまってはコスパ低くありませんか?
コスパの話が出たところで今回の「欲、鑑賞しよう」は終わりです。
なんだか話題を出し惜しみするような終わり方になってしまって申し訳ない!!!
次回は、錬金術師のような鑑賞についての補足に加えて鑑賞におけるコスパをテーマにお話ししていきます。めちゃくちゃ暑い毎日ですが、次回もお会いできますように!!水分っとっていきましょーーーー!