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言葉にする快感
一月も後半になってしまいましたが、皆さん、あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。
新年一発目は先日鑑賞してきた「モネ 連作の情景」展で感じたことを中心に書いていこうと思います。
東京、上野の森美術館で開かれている「モネ 連作の情景」展ではモネの制作方法の特徴である、同じ風景を季節や描く時間をかえて何度も描く「連作」として描かれた作品を中心に初期の細部までしっかりと描き込まれた若々しい作品から晩年の光とその風景の印象をつかもうと素早い筆致で描かれた作品までが展示されています。
モネといえば一番有名なのは「睡蓮」かと思います。この「睡蓮」も連作の作品の一つです。
グッズの中にも「睡蓮」が描かれたクッキー缶やトートバッグなどが売られておりSNSの影響もあってか、グッズ売り場はさながら一昔前のバーゲン会場のような熱気に満ちていました。
アートを見ながら会話する
以前、「欲、鑑賞しよう」の記事のなかで「美術館は静かすぎて人となかなか会話ができない」ということを書かせていただきましたが、今回の展覧会では意外と会場全体が大きな声でなければ普通に会話ができる状態だったので一緒に行った人と会話しながらの私的には理想に近い美術鑑賞ができちゃいました。笑
この会話できるかできないかというのは会場にいる人数に左右されるのかなぁなんて思っていたのですが意外とそうでもない…
雰囲気⁉
展覧会の内容⁉まだよくわかっていないのですが、たまにこのような話しやすい展覧会というものがあります。
私の鑑賞においての理想は見て終わりではなく、見てかんじてことを言葉にすることです。できれば言葉にして他の人と会話してほしい!とも感じています。今回の展覧会は理想的な鑑賞ができるラッキーな機会でした。(以下、ネタバレ注意!!)
入館すると目に入る大作は『昼食』という作品です。余りモネらしくない人物を大きく配置したアカデミックな画風の作品です。
まだ印象派と呼ばれるような画風を確立する前の作品であり、サロン(官展)への入選を目指して描かれたものなのでサロン受けするであろう滑らかな陰影表現と、サロンのなかでの絵画のヒエラルキーでもモネが得意とする風景画より上位の風俗画を題材にしています。
そしてモネはこの『昼食』でサロンに落選。この挫折を機に一気に印象主義的な我々がよく知るモネの画風に転換していきます。
…といった感じのモネにとってこの作品がどんな作品であったのかという説明文が作品の横にせっちされていました。
こんな作品の背景を知ると「あらあら…ずいぶんと無理して描いたのかな?」「そりゃあ入選したいしなぁ…」なんて描き手側の感覚にばかりフォーカスしていたのですが、後ろにいたご婦人二人が「左の人黒い服着てるから喪服なのかしらね?」「なんだか右端にいる子供のこと恨めしそうにみてるもんねぇ…子供が死んじゃったのかしら?」と話していて…
はっ‼そうだよね⁉モネの一作品として見るだけじゃなくこの作品に何がどんな風に描かれてるかを今日は人と話せるんだった‼と再度気づかせてくれました。
今回は総勢4名で見てきたので会話の内容も様々な様々です。
「あんまりモネって感じがしないね」「何食べてるんだろね?」「なんか人形?おちてない?」などなど会話していると自然と一つの作品をじっと見ていることが苦にならなくなって「人形だって?あ、ほんとだある!」と会話しながら視野が広がっていくのが面白くなっていきます。
感覚を言葉にする会話
展示を先に進むと風景画一色になってきます。
作品に近づけるギリギリの近さで作品を見ると驚くほどシンプルな筆致を幾多にも重ねることで混色とはまた違った表現で色の調和をとっていることに驚かされます。
ここではほぼ同じスピードで見て回っていた親子が面白い会話をしていました。
『ザーンダムの港』という作品と『アルジャントゥイユの雪』という作品を見比べながら話していました。
どちらの作品も空がオレンジがかっていますがそれが朝焼けなのか夕焼けなのかはタイトルから判断できません。
母「(『ザーンダムの港』を見ながら)これは夕焼けかな?朝かな?」娘「夕焼けだと思う!」母「なんで?」娘「うーん、なんか黒い色が多いからがこれから夜になる気がする」
うんうん、なるほどな!私もそう思う!(盗み聞きしちゃってごめんなさい‼)
母「じゃあこっちの絵は?(『アルジャントゥイユの雪』を見ながら)」娘「こっち朝だよ!だって雪が光ってきてるもん。これから明るくなるんだと思う」
ほほ~ん…私はこっちも夕焼けかと思ったよ娘さんや。
…と見ず知らずの人の会話ですら楽しんでいたのですがこの親子の会話を聞いていると(内心参加していると)タイトルというヒント以外与えられていない場合その作品に描かれているのがどの時間帯なのかということさえ見る人の感じ方ひとつで朝にも夕暮れにもかわるのです。
それをこの親子のように「なんで?」「じゃあこれは?」と確認しながら見ていくのは盗み聞きしているだけでも楽しそうでした。
またこの楽しさは違う感覚にふれることのほかに自分の感じたことを言葉にするという楽しさがあると思いました。
実際わたしがこうして鑑賞に関する文を書くのを楽しく感じるのも「自分が感じたことを言葉にする」ことに快感を感じるからだと思います。
言葉にする快楽の神髄
いよいよ印象派画家としての画風を確立させながら同じテーマにこだわって作品を作っていた時代の作品群のコーナーへ。
ここで目にとまったのは『海辺の船』という作品です。
「よく晴れた土曜日の午前中って感じですね」と思わず見た瞬間に感じたままの言葉を同行していた知人に話しかけていたのですが、「それ!確かにそうだ~!!この洗濯したくなる青空!たしかに土曜日感あるわ~!なんか下の方に描いてある人たちものんびりしてるしねぇ!」と私の口からこぼれた言葉がばっちりハマった模様!!!!キターーーーーー!!
これが言葉にする快感の神髄よ!!自分の表現した言葉が他の人が表現したくても言葉にできなかった感覚にばちこーーーんとはまったとき…きっとちょっとドヤ顔をしているだろう私…笑
人間のコミュニケーションは常に正確に理解しあうことはできません。デリダでいうところの「誤配」にあたる状態がつねに繰り返されているわけです。
しかしこの誤配における解釈の誤差のようなものが鑑賞を通した先ほどの会話のような場面では普段の会話よりも小さい誤差になるよに思います。
私が感じたことを言葉にすることに快感を感じやすいのは先ほどの知人のように「それ!そう言いたかったの!」と絶対に感じることのできないはずの他人の感覚を代弁できたことによって他者とその瞬間強く結びついたように感じるからかもしれません。
逆もしかり。私が言葉にできなかったものを「そうそれ!」と思えるくらい的確に表現する人がいるとそれがたまたま目にした雑誌の記事であってたとしてもその記事を書いた人に親密感を感じます。
鑑賞における会話では必ず話の元には作品があります。
同じ作品を目から、耳から、鼻から…持てる感覚を総動員して感じ取ったときの感覚を表現した言葉というのは他者であっても共通する部分が多いのかもしれません。
感覚の強弱は違うとしても言葉として表現したくなる感覚の根源のようなものは共通する部分が多いのかな…?まだまだ胡乱なじょうたいですみません。汗
巨匠の手の中で楽しむ
展覧会のラストを飾ったのは『睡蓮』の連作でした。
実際めにするといつも思うのですが『睡蓮』の連作にはでっかいものが多い!
オランジェリー美術館のある「モネの間」はこうした大作の作品で構成されています。
これらの作品は「大装飾画」と呼ばれ、普仏戦争と第一次世界大戦で離散してしまった家族や、負傷兵への慈善事業のひとつとして描き始めたものです。
大装飾画を描いているころモネが知人に送った手紙には戦時下でたくさんの人が苦しむ中、色や形にこだわってこのような大作を描いていることに罪悪感を感じつつも、絵を描くことが自身の悲しみから逃れる唯一の方法であるとつづられています。
展示物のなかにはそうしたモネの生涯を年表にしたものもあり作品の時代背景やモネの人生などを知ったうえで最後の大作『睡蓮の池』にたどり着きます。この展覧会の中でも特に大きな作品です。
ここではしばらく言葉も出ず、モネの生涯と作品中ののびやかなタッチで描かれた蓮の葉や水面のわずかな揺れや反射を感じさせる色遣いのバランスに感動しきりでした。
言葉少なにグッズ売り場に向かってポストカードを見ていた我々の第一声は「ちっちゃいとなんか違う…」でした。
つい今しがたみてきた作品のポストカードのはずなのになんだか違う…あのキャンバスのでかさと、多様な色使い、一見簡単そうに見えちゃう筆致ももしかしたら(もしかしなくても)すべてモネによって計算されつくされたものだったのか⁉
はぁ~~~~モネさんの手のなかで楽しくころがされておりましたわい!!と感嘆しながらやっぱりポストカードは欲しくなって買ってしまいました。笑
この記事以外にもYOKUSTUDIOのアカウントからつぶやきとして様々な作品の鑑賞後にちょいちょいつぶやきを投稿していきますのでそちらも楽しんでいただけるとうれしいです。では、また来月お会いしましょう!