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自分にも旅先にも寄り添える観光を ~誰かの日常をおすそ分けしてもらう旅へ~


みなさん、こんにちは。
この度、「欲、観光しよう」を連載させていただくことになりました、いわゆる中の人Sです。

仕事は観光に大きく関わる仕事……というわけではないですが、地域に関わる仕事、まちづくりなどに携わっています。


そんな私ですが、これまで通過を除くと36都道府県、15か国を旅してきました。幼少期に、古代遺跡に魅入られて以降、感性が変化を遂げても、私の中で旅は生きがいに近いものになっています。


そんな私の観光の仕方は、観光地でのアクティビティ参加はもちろん、滞在している町にあるカフェで本を読むといった日常の行いに非日常を取り入れるといった観光もしています。


さて、観光の仕方は、時代に合わせてさまざまな変化があり、多様化してきました。ハネムーンに家族旅行、一人旅。リトリートや温泉宿での執筆など旅のフォーカスの当て方を変えることで、自分に合わせた旅の仕方を選択することができます。


しかし、旅の多様化の中で、本来であれば癒し、リフレッシュ、良い刺激となるはずの旅が、どこか疲弊に変わってしまうこともあるのではないかとも考えています。


コロナウイルス感染症による影響で、なかなか行くことのできなかった旅行。第5類に移行された今、久しぶりの旅行を計画、そして実際に行く人も多いはず。


この連載では、YOKU STUDIO的にどんな旅、観光が私たちに良い刺激をもたらしてくれるだろうかという点について、お話していきたいと思います。






そもそも「観光」とは




ここで、まず「観光」とは一体何かを再確認します。



 




観光:他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。「国の威光を観察する」が語源。中国「易経」の「国の光を観る、もって王に賓たるに利し」に由来。





 

Weblio辞書、語源由来辞典






語源と現在一般的に使われている意味を照らし合わせると、他の国や地方の風景・史跡・風物が威光に当たることが読み取れます。


さて、「観光」とは何たるかを理解したうえで、現在の観光における課題とYOKU STUDIO的観光について、説明していきます。





現在の観光について ~他人軸的観光と自分軸的観光~





冒頭でもお話したとおり、昨今、観光の仕方が多様化しています。


しかし、その中には地域の魅力に密着というよりも、その場のかわいいや綺麗を刹那的に消費したりSNSをバズらせたりするための観光や、現地の魅力に気づかずに過ごしてしまう危うい観光もあるのではないかと思います。


ありのままの旅先を、等身大の自分で楽しむことのできる観光の仕方は、いったいどのような観光でしょうか。


今回は、他人軸的観光と自分軸的観光の二つに分け、観光の仕方を見つめ直していきます。





・他人軸的観光=「自分の価値観や感性にもとづいた欲を体現できていない観光」




今回、他人軸的観光に当たるのは、下記の旅の仕方とします(こちらは下記の旅のすべてを否定するものではありません)。


 ・フォトジェニックな旅 ・観光名所 ・ガイド ・パッケージツアー


観光名所や、見どころを効率よく見るためのガイドツアー、パッケージツアーは昔からある旅の仕方です。スマートフォンの普及とともにSNSが流行し、誰でも自分の旅を発信できるようになった今、フォトジェニックな旅(インスタ映えなど)もトレンドですね。


誰かが撮影していた綺麗な景色、流行りの食べ物。このような誰かのフィルターを通した観光だけでは、自分が本当に好きなもの、本当に興味あるものとは異なる部分に着目してしまい、どこか虚しさの残る観光となってしまうのではないでしょうか。


ここでは、自分の価値観や感性に基づいた欲を体現できていない観光を、他人軸的観光とします。






・自分軸的観光=「旅先の魅力に対する欲を体現できず、自分の中だけにベクトルが集中してしまう観光」





一方で、自分軸的観光に当たるのは、下記の旅の仕方とします(他人軸的観光と同様に、下記の旅のすべてがいけないというわけではありません)。


 ・リトリート ・自分探し ・山ごもり ・プチ修行


毎朝ビーチでヨガをする。日常に疲れてしまったとき、自分探しにインドへ行く。自然豊かな土地に行って、デジタルデトックスをする。お寺に泊まる。


そのように自分を整えるための滞在をして、非日常へと現実逃避、リフレッシュをする。社会人には、あるあるな旅の仕方です。


自分のために行く旅自体は、悪いことではありません。ただし、自分だけにベクトルが集中した観光は、その土地の本当の魅力を見落としてしまうかもしれません。


ここでは、旅先の魅力に対する欲を体現できず、自分の中だけにベクトルが集中してしまう観光の仕方を、自分軸的観光とします。





・YOKU STUDIO的観光=「誰かの日常をおすそ分けしてもらう旅」




他人軸的観光も、自分軸的観光も度が過ぎてしまうと、素敵な旅行の予定のはずが、余計な要因に引っ張られ、無駄に疲弊してしまうこともあります。


他人のフィルターだけを意識した、自分の価値観や感性に基づいた欲を体現できていない観光。


旅先の魅力に対する欲を体現できず、自分の中だけにベクトルが集中してしまう観光。


せっかくの旅です。他人軸にも自分軸にも囚われずに、旅先の魅力に触れる観光をしてみませんか?そこで、提案させていただくのが、「誰かの日常をおすそ分けしてもらう旅」です。



観光地は、観光客にとっては非日常であり、目的地でもあります。しかし、私たち観光客が旅する場所は、多くの場合、誰かにとっての日常の場所なのです。


他人軸、自分軸どちらにも偏りすぎない観光のために、必要なマインドが「誰かの日常をおすそ分けしてもらう」マインドだと私は考えています。


過度な他人軸的観光では、どこかで見たものを自分がなぞるだけの旅になってしまう。

過度な自分軸的観光では、せっかく旅先に来たのに旅先特有の非日常を味わい尽くすことが困難になってしまう。


どこかで見たものを見に行く場合も、自分を見つめ直す旅に行く場合も、目的地までに移動があったり、食事をとる場面があったりします。

そのような目的地までの過程を楽しむこと。そしてその道中で、旅先ならではの普段の自分ではしない選択をしてみること。

そこには、旅先に住む人たちにとっては当たり前な日常が転がっているのです。


いつもの自分の場所とは違うところで、誰かの日常を少しだけ覗いてみませんか。旅先に住む人たちの、愛する地元を少しだけおすそ分けしてもらいませんか。


自分がやりたい、見たいと思ったものを目指してたどり着いた地に、私たちの知らない何かがあるかもしれません。


ありのままの旅先を、等身大の自分が楽しむために、どのような観光ができるのか。他人軸、自分軸それぞれの観光の仕方の長所、短所をふまえ、「誰かの日常をおすそ分けしてもらう旅」とは、どんな観光なのかについて、この連載ではお話していきたいと思います。


どこかであなたの旅のお役に立てれば、幸いです。





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