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自他を超えた「愛」をめぐる楽曲たち - ミスチル、椎名林檎、モーニング娘。…


「愛」とは、自分と他者の境界を超えて循環するエネルギー。

だから、自分に負荷をかけて他者に尽くす「献身」や「自己犠牲」、あるいは見返りを求める「ギブアンドテイク」的な態度は、実は、本来的な「愛」の表れとは言えないんです。


自分の存在を認めるのと同じように、他者の存在をリラックスして認め、エネルギーの循環のなかに身を置くこと=「愛する」こと。


これからの時代における、自他の区別のない「愛」とは。


何も無理をすることなしに、そして何らかの「目的」や「保証」なしに、心と身体を満たしていく、じんわりとした喜びや安心感のようなものなのだと思います。


それは、「好き」とか「嫌い」とか、感覚的・感情的なジャッジを超え、自分と他者を、まるごと、ただ認める態度です。

でも、自他の区別のない「愛」って、なんとなくイメージしづらいし、ただの理想論のようにも聞こえてしまいますよね…


そこで今回は、このような「愛」が表現された楽曲の歌詞をいくつか紹介しながら、とても身近かつ純粋な希望としての、そのような「愛」の可能性を、わかりやすくお話していきます!


(選曲には、中の人の趣味がかなり影響を与えています笑。でも、どれもスピリチュアル的に見て重要なことを表現している楽曲ばかりです!)


・Mr. Children「名もなき詩」(1996)


これは、誰もが一度は聴いたことがある名曲かなと思います。


ミスチル、とってもポピュラーなバンドではありますが、ボーカル桜井和寿の書く詩は、スピリチュアル的に見て面白いものが多いなという印象です。


「名もなき詩」はまさにその真骨頂だと言えるのではないでしょうか。




 

君が僕を疑っているのなら この喉を切ってくれてやる Oh darlin 僕はノータリン 大切な物をあげる


 


ここだけ聴くと、恋人同士の、なかなか激しい感情の揺れ動きが読み取れます。


まさに「ギブアンドテイク」を追求するような恋愛関係。


一作前のシングル「シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌」(1995)における有名な歌詞「恋なんて 言わばエゴとエゴのシーソーゲーム」を思い出させます。


しかし、そのような求め合いぶつかり合う関係性=「恋」であり、「好き」という感情だとしたら、「名もなき詩」は、それを超えた「愛」へと向かっていく曲なんです。



 

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気が付けばそこにある物 街の風に吹かれて唄いながら 妙なプライドは捨ててしまえばいい そこからはじまるさ


 


ここで示されているのは、まさに「ギブアンドテイク」から抜け出した「愛」の形!


「愛」は、相手に無理になにかをしてあげることでも、してもらうことでもなく、「気が付けばそこにある物」なんだと思います。

「好き」「嫌い」のシーソーから下り、エゴとしての「プライド」を捨てた先で、自然体でお互いを認め合うことの、さりげないけれどとても大きな喜びに気づかされます。


ラブソングが「名もなき詩」と名付けられていることにも、特別な意味づけのない希望の感覚としての「愛」の性質が、反映されている気がします。








・椎名林檎「幸福論」(1998)




続いて取り上げるのは、シンガーソングライター・椎名林檎のデビュー曲、「幸福論」です。


椎名林檎の初期の作品は、「丸の内サディスティック」「ここでキスして。」「ギブス」など、ダークでセクシーな曲調が多いのですが、意外にもデビュー曲は、とても素直でかわいらしい曲なんです。


曲の主人公・「あたし」は、いつも近くにいた「君」への「愛」に気づくのですが、その時の「愛」の形というのが…




 

時の流れと空の色に 何も望みはしない様に 素顔で泣いて笑う君のそのままを愛している故に あたしは君のメロディーやその 哲学や言葉 全てを守り通します 君が其処に生きているという真実だけで幸福なのです



 


「あたし」は、うつろいやすい「時の流れと空の色」と向き合うように「君」と向き合っている、つまりその関係性に何も「保証」などは求めていないわけです。


けれど、「素顔で泣いて笑う君」、そして「君のメロディーや その哲学や 言葉」、つまり「君」の生き様に触れ、「君」が「いまここ」に生きているという事実をかみしめる一瞬一瞬の喜びを、心から感じている。


ここで重要なのは、「あたし」が大切に守ろうとしているこの「メロディー」や「哲学」や「言葉」というのが、永遠に変わらないものではなく、それこそ「時の流れと空の色」のように流動的なものとして、表現されているということです。


「あたし」の態度は、様々に変容していく可能性を持った「いまここ」の君そのものを、認め続けるものです。


それは、ギブアンドテイク」的なシーソーゲームではないし、自分の心を押し殺して相手に尽くす「献身」でもない。


つまり、一方的に何かを求めたり、何かを与えたりしようとはしていないわけです。


どうでしょう? ほんとうにまっすぐな「愛」ですよね。

「好き」という感情を超えた自分の「愛」の形を、「幸福」だと歌う「あたし」には、エゴや自己犠牲を超えた、自然体の強さがあるように思います。






・モーニング娘。「愛あらばIT'S ALL RIGHT」(2004)



最後に紹介するのは、モーニング娘。「愛あらばIT'S ALL RIGHT」です!


いきなりアイドル?と思われるかもしれませんが、この曲を制作したのは、モーニング娘。の楽曲を多く手掛ける、つんく♂。


私がつんく♂好きのハロプロファンという贔屓目もあるかもしれないですが、つんく♂は、たとえば「愛」のような壮大なテーマを、等身大の女の子の感覚に落とし込むのがとても上手いなあと感じています。


この曲、かっこいいベースラインだったり、メンバーがそれぞれとてもかわいいMVだったり、語りたいことが尽きない名曲なのですが、今回注目したいのは、絶対的な安心感を与えてくれるような、その歌詞です!



 

悩みが消えなくて 涙流したり 言葉とり違えて 誤解招いたり でも 正直に生きてりゃいっぱい 感動に出会うさ だって今日は今日でまた新しい とっても自然な親切に 出会ったわけだし



 



私たちは、現実を生きる上で、思い通りにいかない現実に悩んだり、他者とのコミュニケーションがうまくいかなくて落ちこんでしまったりしがちですよね。


しかしそれはおそらく、「自分はこうでなくちゃダメなんだ、誰からも認めてもらえない!」とか、「あの人がああいうことを言ったのは、きっと私が嫌いだからだ…」とか、自分だけのこりかたまった考えで、可能性を限定してしまっているから。


そこには、自分や他者に対する「好き」「嫌い」というジャッジが、大きく影響しています。

実際、そのような考え方を外して、「そのままでいいんだ!」「これで大丈夫なんだ!」という気持ちにいたれば、それまで気づかなかった「感動」に出会えることが増えます。


その「感動」は、大げさなことではなくて、「とっても自然な親切」のようなさりげないものだけど、それが大きな力になったりするんですよね。




 

愛あらば it's all right 太陽はすべてお見通しさ こだわれば it's all right 未来は it's all right 踏み出せ it's all right



 



この歌詞で示されているのは、「愛」と" it's all right "、つまり「大丈夫!」という感覚との、結びつきです。


「いまここ」の自分と相手を認め、エネルギーの交流をリラックスして楽しめる状態というのが、自他の区分を超えた「愛」に満たされた状態。


そしてそこから得られるのは、「大丈夫!」という安心感です。


自分や相手を縛りつける、一面的な考え方を脱ぎすてれば、「大丈夫!」という感覚のもとに、自分が心惹かれる方向へ歩きだす勇気が湧いてきます。


そこに、他者を排除するような頑固さとは違うクリエイティビティとしての「こだわり」や、オリジナリティが生まれてくるのではないでしょうか?

自他の境界ない「愛」というのは、「いまここ」を生きる私たちに、絶対的な安心感、あたたかく前向きなエネルギーを与えてくれるものであることを、この曲は教えてくれるように思います。









これからの時代の「愛」の形は、実はとてもシンプルです。


それはまさに、今回紹介した3曲に共通する、じんわりとした多幸感であり、「いまここ」の安心感のもとに、自他の境界を超え、「好き」「嫌い」のジャッジを超えて、あらゆる存在自体をまるごと楽しんでみるモチベーションなのではないでしょうか?