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物語の必要性〜『違国日記』にみる鑑賞の必要性
こんにちわ!
前回は私自身の体験をもとに「読書」と言う行為がなんとなく嫌厭されてしまうことについて書きました。
今回は『違国日記』(ヤマシタトモコ/祥伝社)を元にもう少し読書について書いていこうと思います。
あらすじ
『違国日記』は、最近だと6月7日から実写映画化されていることで知っている方もいると思います。
物語は、両親を事故で亡くした姪っ子の朝と朝を引き取る小説家の叔母の槙生を主人公として進みます。
この叔母の槙生役を実写映画では新垣結衣が演じると知った時、「(思いがけず良すぎて)ひぇ…」と声が漏れてしまいました。
血のつながりがある二人ですが朝の両親が事故に遭うまで二人の面識はほぼゼロ。
槙生は朝の母であり実の姉である実里のことを嫌っています。
まだ両親の死もその悲しさも認識できず呆然としている朝に周囲の大人たちの…「雑意」とでも言いましょうか?配慮などかけらもないテキトーな言動がお葬式の会場で降り注ぐ中、「朝、私はあなたの母親のことが心底嫌いだった。」「通りすがりの子供に思う程度にもあなたに思い入れることもできない。」「でも、あなたは、15歳の子供は(中略)もっと美しいものを受けるに値する。」という槙生の宣言と共に朝は彼女に引き取られることになる。
槙生のマンションについて「あなたを愛せるかどうかはわからない。でも、決してあなたを踏みにじらない。」と言う、槙生の鋭いけど誠意のある言葉と共に二人の生活が始まります。
孤独を選んで生てきた槙生と対照的に、純真に愛されていると信じていた両親が突然亡くなり孤独になってしまった朝の人生が交わり思いがけない変化が生まれていくのがこの作品の面白いところではないでしょうか。
「物語が必要ですか?」
槙生ちゃん(作中で朝が槙生のことをちゃんづけで呼ぶので染みつきました)は少女小説の作家です。
言葉を扱う職業なので「盥」と言う漢字の書き方も誦じることができます。笑
登場人物の中に朝の法的な面倒をみてくれている塔野という若い弁護士がいます。
彼はお世辞にも人間の感情の機微に配慮した振る舞いができる人間ではありませんが愛すべき率直な質問ができるキャラクターです。
彼から「物語が『必要』ですか?」と問われた「物語必要派」の槙生ちゃんは「物語は…いわばかくまってくれる友人でした。」と答えます。
前回の記事で特に効果を期待せず、たた読書を楽しみたいので本を読むといっていた私ですが、思い起こせば読書が難なくできるようになったのは中学生からです。
人生で初めて生づらさを日常的に感じ、できることならどこかへ行きたいと逃避的な思考を持ち始めた頃です。
私にとって、この頃に読んだ市川拓司の小説や上橋菜穂子のファンタジー、鶴田謙二のSFマンガは私を外の世界からかくまってくれた避難場所でした。
読書している姿を外から見られると読書している人間の魂はここにないかのように隔絶して見える時があります。
それくらい集中して読書にのめり込む時、私の魂は物語の中でかくまわれ、束の間現実世界を忘れられていたのだと思います。
生づらさとそれに伴う孤独を物語は否定も肯定もしない形で、迎え入れてくれる中立地帯でした。
そこが私には居心地が良く、生づらさが和らいできた今でも自分の家にかえるように当たり前に本をひらく習慣が根付いたのかもしれません。
弁護士の塔野さんにとってのそういった「かくまってくれる場所」は勉強だったと作中で語られています。
各々にとっての最適な中立地帯があるのだなぁ…読書を勧めまくってる自分どうなんだろう…と最近やや落ち込み気味です。泣
「必要」の根幹にある「欲望」
私の落ち込みはともかく…作中で「てか何で小説とかかいてんの?」と朝が槙生ちゃんに聞きます。
もう!見てるこっちの息の根まで止めにくる純粋?無邪気?な質問!!
この質問には槙生ちゃんもなかなかダメージを受けたようで同じ小説家仲間に愚痴ります。
小説家仲間からは朝の発言は「オレバカ構文?」と言われます。
自分はバカだからよくわからんけど何でかいてるん?と思考停止している自分を免罪していると。ちょっとムカっときますよね?
そんな質問をした朝の背景には怒涛の環境変化を経て次は進路を決めなくてはいけない歳になり、しっかり進路の決まっている友達がいたりなんだか日々が息苦しくなったりで自分の無力感を感じている時でした。
朝は朝なりにもがいていたのだと思います。
仲間と話していくうちに槙生ちゃんは「わたしはずっと戦いたかった」「窓から魔法使いが忍び込んでほしかったし、クローゼットが違う世界に繋がっていて、竜に出会って、剣や魔法で…それで誰かが誰かのために勇気を振り絞って戦うのが好き」と心のうちにあった小説を書くことの動力源となる欲望を語ります。
…なんか…泣いた!!そうよ!私もそうでした!!
自分が無力なのは百も承知で、実際世界を救うようなことはできないけど物語に登場するような勇気のある人物になって誰かを救うために、それによって自分が救われるために私には物語が必要でした。
槙生ちゃんはそんな物語を紡ぐ方へ、私は世の中に存在する数多の物語を勧める方へ欲望の行き先が決まったのだと思います。
槙生ちゃんのセリフを読みながらASIAN KUNG-FU GENERATIONの『転がる岩、君に朝が降る』の歌詞を思い出していました。
できれば世界を僕は塗り替えたい戦争を無くすような大それたことじゃないだけどちょっとそれもあるよなあ自分の無力さは痛いくらいにわかってるけど、そんな自分のもがくような行動が世界のどこかに響いて、もっと素敵な夢見たような世界になって欲しい…
槙生ちゃんが小説を書く理由も、私が読書を辞めずに人に勧めまくる理由も無力な自分に抗いながら人に勇気を分け与えたい、そんな自分によって自分も救われたいからなのだと思います。
なんか崇高なようなこと言ってますが、要は自分を自分で癒し、元気づけ、人生を駆動させていくためのエンジンとして物語を活用しているのです。
ほぼ自分のため!笑
欲望に忠実に生きてます!!笑
利己的な遺伝子が開き直る
結局のところ、いくら利己的な行動をしたところで突き詰めれば全ての行動は利己的なのではないか?と思います。
あぁ…セルフィッシュジーン。
利己的な遺伝子ほどより生存すると言う意味ですが、なるほどそうなのかもと思います。
槙生ちゃんのように根底にある利己的な欲望を抑えつけずに表現することで誰かを救い、自分も救うこの自己と他者を満たし満たされる円観関係にハマることが自他のどちらかに依存しないバランスの良い生き方なのでしょう。(槙生ちゃんの場合はちょーーーーっと偏ってるところもありますが…)
読書はこの円観関係を形作るためのツールになります。
読書以外にもこういったツールはたくさん存在すると思いますが、私は断然物語のある読書をお勧めします。もっと大きく言えば鑑賞をお勧めします。
朝が感じた無力感や、私が頻繁に感じていた虚無感など普通に暮らしていて泣き叫んだりするほどじゃなくても強く感じる「どうしようもなさ」を私は鑑賞している間に登場人に勇気をもらい、世界観の大きさに圧倒されることで鑑賞後の現実世界で再び生ていく活力を得ています。
槙生ちゃんの痛いくらいの誠実さに「読書を勧めることって本当にいいんだろうか…?」と悩んでいた私の心が救われたように、私が鑑賞を勧めることによってどこかの誰かの心に1秒でも(本当はもっといっぱいでも大歓迎!!)生きることへの活力が湧いてくれると信じてこれからも鑑賞をゴリゴリ勧めていきます!!笑
余談ですが、以前映画『オッペンハイマー』とドラマ『Fall out』について記事を書きましたが前者はクリストファー・ノーランが監督し、後者は弟のジョナサン・ノーランが監督していました!!
おおおいい!!ちゃんと調べろやぁぁあああ!!
でも知らないくせにこの二作品選んだ自分なかなかよるのぅ…(すいません汗)
また次回お会いしましょう!!