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未来はいつも、「いまここ」にしかない。
あなたは「未来予想図」を持っていますか?
「もちろんあるよ!」という方、「もう大人だから、そんな将来の夢みたいなものはない…」という方、どちらもいると思います。
ただ、未来において実現したい目標を持つことは良いことだ、というイメージは、私たちのなかに刷りこまれているのではないでしょうか?
(たとえば小さい頃、周囲から「将来の夢」をよく聞かれましたよね。「ない」と言うと、「夢を持ちなさい!」と注意されたり。)
しかし、あなたが描く、明確な「未来予想図」が、逆にあなたの可能性を狭くしてしまっているかも…というのが、今回のお話です。
なぜなら、未来というのは、実は「いまここ」にしかないものだからです。
どういうことでしょうか?
・未来のことは誰もわからない
そもそも未来というのは、誰にも予想できないものです。
(どんな超能力者だって、おそらく100%正確に未来を把握することはできないはずです…)
5秒後に、思いもかけない素敵な出会いをするかもしれない。
30分後に、急に大きな仕事の依頼が舞い込むかもしれない。
もしかしたら明日には、この世界が劇的に変わるような出来事が起きるかもしれない。
「いや、私は変わり映えのしない日々を送り続けているから、未来なんてたかが知れてる…」と思うかもしれないけれど。
よくよく周囲に目を向けてみれば、昨日・今日・明日に起きることがまったく同じということはないと思います。
天気、すれ違う人、周囲との会話の内容、道端に咲く花。
少し注意してみれば、確実にそこには、予測できない変化が起こっていることに気づくことができるはずです。
・未来=「いまここ」の予想
そしてもう一つ重要なのは、未来という時間性は、現在を生きる私たちによる「予想」としてしか、存在しないことです。
たとえば、いまこの瞬間に私が、「明日、雨が降る」という未来を思い描いているとします。
その時点では、「雨が降っている」状態というのは、私の予想、私の想像の範囲内で、たしかに未来として存在しています。
しかし実際に一夜明けて「雨が降っている」状態になったとしても、その時点にいたると、それはもはや未来ではなく、現在の状態ですよね。
このような観点に立てば。
未来=私たちが生きる「いまここ」の先に、確実に存在している事実、というわけではないことが分かります。
未来は「いまここ」における予想としてしか存在しない。
逆に言えば、「いまここ」における予想が、未来を作っているんです。
・「未来予想図」にとらわれるのはもったいない
「いまここ」の予想としてしか、未来がないとすれば。
確実な事実としてあるのは、「いまここ」だけだとすれば。
未来は「いまここ」の私たち次第で、どのようにも予想できる。
つまり、どのようにも作ることができるものなのです。
だから、私たちの「いまここ」の生活を、未来予想図が規定してしまうのは、実は本末転倒だと言えます。
「未来予想図」を描くことはたしかに、自分のモチベーションを上げたり、毎日の生活に張り合いを出したりする上で、役に立つことがあります。
けれど、その「未来予想図」=この先に確実に起こるであろう(起きてほしい)事実、と考えて、それに合わせて「いまここ」の生活を送っていくことは、あまり得策ではないかもしれません。
「いま好きな人と付き合って、結婚して、永遠に仲良く暮らす」といったポジティブな「未来予想図」も。
「このまま一人、大した成果も残さずに、ルーティンワークを繰り返して生涯を終える」といったネガティブな「未来予想図」も。
それを信じ込み、それに執着してしまうほど、「いまここ」を生きる私たちの視野を狭め、行動を制限する鎖となってしまうわけです。
未来というのは「いまここ」の予想でしかないということを分かっていれば、毎日の生活の一瞬一瞬を大切にすることができます。
好きな人とちょっとだけ話せたこと。
友達から面白い話を聞けたこと。
同僚から美味しいお菓子をもらったこと。
散歩中にかわいい犬を見かけたこと。
そんなちょっとしたことで「いまここ」の自分が満たされた時、「なんかいいこと起こりそう」「このまま調子良く過ごせそう」といった、ふわっとした予感に包まれたこと、ありませんか?
さらにそこから、「なんとなくこうしたら楽しいかも!」とか「これだったらできるかも」といった、肩肘張らない前向きな気持ちやヴィジョンが、じんわりと湧いてくることがあります。
バシャールが言う "excitement"(日本語には「ワクワク」と訳されます)の感覚というのは、きっと、まさにこのようなもの。
徹底的に「いまここ」の感覚を大切にするからこそ生まれる、「未来予想図」なしの推進力のようなものだと思うのです。
人の一生というのは、「いまここ」という一瞬一瞬の積み重ね。
だからこそ、「未来予想図」にとらわれすぎて、「いまここ」の自分を規定してしまうのはもったいないことです。
常に「いまここ」の感覚に寄り添って、ふわっとした予感に身を任せること。
その積み重ねから出てくるものこそ、ほんとうに自分らしい人生の軌跡なのではないでしょうか?