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娯楽と身体性の関係〜音楽フェスから考える鑑賞論〜


皆さんこんにちは!
寒くなってきましたね!読書の秋ですね!ヒャッホーイ!!
特に秋でなくとも読書している私です。笑



娯楽と身体性






ロッキンでの体験






今年は久しぶりにロッキンに参戦してきました。

日光が照り付けすぎて「ここはフライパンの上か?」ってくらいの暑さの会場でそこそこ高いビールとご飯を買い、飲み食いした端から汗と共に蒸発していくあの感覚!!

これぞ夏フェスだーーーーー!!とまだステージをみる前から大興奮でした。


肝心のステージでは憧れの文房具大好き兄さんであるKREVAを最前のブースで見ることができて…もう!!

ジャケット脱ぐだけで「ひゅーーーーー!!!」

午後にヒルサイドステージで演奏していたのでちょうど西日がKREVA兄さんの汗をキラキラさせてそこに兄さんの特徴的な声が相まってもう!!

…と大興奮だったわけですが、このステージの最後を飾った「Na  Na  Na」という楽曲が五感を総動員して鑑賞できる最高の楽曲で、この「欲、鑑賞しよう」にもつながる体験をしたので今回はそのお話をさせていただきます。


「Na Na Na」は1コーラス聞けばすぐ覚えられる簡単なコーラスで構成された曲で、そのコーラス部分をKREVA兄さんと観客みんなで歌える一体感のある曲です。

人生で必ずあるであろうスランプにめげずに地道に前を向いて生きていくことで更なる高みを目指していこうという希望に溢れた曲でしたが、コロナ禍で観客が声を出せない状態のライブではコーラスができず、セトリに組むことができない曲でした。

それが、コロナ禍を経て再びみんなで歌うことができたのです。

ちょうど強かった西陽が夕日の優しい光に変化し始め、少し涼しくなってきた土の匂いのする空気にゆったりとした「Na  Na  Na」のイントロが流れ始めます。コーラス部分の「Na〜Na〜Na〜Na〜Na」の歌詞のリズムを手で取りながら歌い始めるKREVA兄さん。

簡単なコーラスなので観客たちも体でリズムをとりながら徐々に歌い出し、最後には波のように揺れながら大合唱をしてフィニッシュ…!!

曲が終了した瞬間になんとも言えない達成感のようなものを感じました。

「歌い切ったで…KREVA兄さん…✨」耳でも、目でも、肌でも、鼻でもこの曲を体感しました。

そして自分の声を出すことで会話したわけでもない他の観客たちや画面の中でしか会うことはないと思っていたKREVA兄さんとの一体感を感じました。

この一体感は同じ曲を歌ったからというだけではないと思います。自分自身が声を出して能動的に参加した時間が夕日や気温、漂う空気の匂いなどの環境的な要素に強化され「同じ時間を共有した」という感覚を強く感じられたのでは?と私は思っています。








五感のアンプ






正直、ライブなどのステージを使うものは見る位置によって音質やアーティストの見え方は変わります。そこから考えると同じステージを見ていた観客でも共有する感覚は少しずつ違うものになるはずです。そう考えると厳密には「時間」という要素以外は私たちは共有できないように感じます。


では、単に「○月○日の△時△分〜⬜︎時⬜︎分まで一緒にいた」という感覚と「Na Na Na」で感じた感覚は同じものなのでしょうか?


私が現時点で自分の体験をもとに言えるのは「同じ時間」という共通項にプラスして「同じ言葉を発した、同じ動きをした」という身体性が伴うと一気に感覚が増幅されるということです。

なんで増幅されるのか?は正直私も研究中です。笑

しかしこの増幅された感覚はかなり気持ちいい!!ということだけは断言できます!!笑

何かを全力でやり切った後のような高揚感✨その後しばらく余韻が残るくらいの強い感覚を嗜むと会場の暑さにやられてへとへとだったのも忘れて「明日も頑張ろ!」と思えます。←これは私の頭が単純なせいもありますね…笑







身体性って何?






じゃあ、この「身体性」って具体的にはなんなんだ?ってなりますよね。

すごーーーーく幅広く言ってしまえば「コミュニケーション」ってことなのではないかな?と思います。


コミュニケーションと言われると「会話」のようなお互いに矢印が向いているもののように思われますが、「Na Na Na」を体験した今では矢印がどこを向いでいようとも自分が感知することさえできればコミュニケーションにつながるのではないか?と思っています。

「Na Na Na」を歌っていた時観客たちはお互いのために歌っていたというよりはステージにいるKREVA兄さんに向けて歌っていた人が多いと思います。

矢印は必ずしもお互いに向いていなくても、隣の人の歌う声が聞こえる。最後には自分の声がかき消されてしまうくらいに観客全員の声が重なり合う。リズムに合わせて同じ動きをしている人が見える。それが「KREVA最高だね!」「いい歌だねーー!」「楽しいね!!」という感覚を共有するコミュニケーションツールの一つになっているように思います。


この「最高だね」とか「楽しいね」という感覚はもちろん主観でしかありませんがその錯覚が一体感や達成感を生み出すのは娯楽とコミュニケーションの深い関係性が見えて興味深いですよね。



今回は音楽フェスという比較的鑑賞することに身体性を伴いやすいものを例に取りましたが、今後は映画や文学、さらには芸術作品や民藝作品など一見身体性が伴いそうにないものに関しても研究していこうと思います。

そろそろ芸術作品を例に取ってお話しできたら〜と思っていますので次回もぜひ読んでいただければ幸いです。


ではまた一ヶ月後に〜!!




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