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ポスト「悟り」の時代へ。


皆さんは「悟り」について、どんなイメージを持っていますか?

「悟り」というのは、厳しい修行の果てに行き着くことができる、聖人のような境地だと思われがちですが…

実は、現代における「悟り」の形は、もっともっと身近なもの。


まずは、私たちの過去(過去世)、未来(未来世)、そして目の前の現実の認識にさえも影響を与えている、潜在意識のフィルター(感情や思考のパターンや、価値観のかたより)から自由になること。


その上で、「いまここ」を生きる自分の感覚をまるごと認め、そこに充足感を感じられるようになること。


それが「悟り」です。つまり、

・「過去に私は恋愛でたくさん失敗をしてきたから、これからも同じことを繰り返すに決まってる…」

・「将来、私は大金持ちになるから、いまは絶対に生活を切り詰めて、コツコツと貯金をしないと!」

・「私は孤独が好きな性格だから、誰とも仲良くする必要はない」

このような、「〇〇だから△△だ」という、自分が癖として持ちがちな、因果律的な解釈のフィルターを取り払い、「いまここの自分」そのものの感覚をリラックスして楽しめるのが、「悟り」のマインドなんです。

しかし、今回問題にしたいのは、スピリチュアルの世界において、「悟り」という状態にいたることが、「ゴール」のように捉えられがちであることです。


(現代版「悟り」は、魂の次元上昇・意識の拡張としての「アセンション」と言いかえても良いのですが、「アセンション」というのも、同じように一種の「ゴール」として設定されることが多い。)

しかし、たとえ「悟り」の境地にいたったとして、人生にどんな良いことがあるのか、ということはあまり語られないんですね。


「スピリチュアル的成長」というマジックワードによって、「悟り」の境地を日常生活に生かしていく具体的な方法が、覆い隠されてしまっているというか…

だから、YOKU STUDIOでは、「悟り」のその先を考えます。


現代はきっと、「悟り」の境地をうまく活用して、私たちの人生をもっと楽しくクリエイティブにしていくことができる、ポスト「悟り」の時代。

今回は、このポスト「悟り」について、具体的にお伝えしていきます!




・悟ったらそこで試合終了?



「悟り」を、スピリチュアル的成長の最終目標とする考え方は、仏教をはじめとするインド由来の宗教・思想にも見られます。


人間の生につきまとう様々な煩悩の苦しみから自由になり、輪廻の輪からも「解脱」した状態。


それが「悟り」であり、修行によってそのような境地にいたることが目指されたわけです。

しかし、「悟り」=修行のゴール、というイメージが根づいたことで、「悟り」というのは、ずいぶん日常から離れた概念になってしまったように思います。


もし「悟り」を人生のゴールだと考えるならば、私たちの人生が一つの試合だとして、「悟り」をむかえればそこで試合終了ということになる。


すると、「悟り」のプロセスというのは、「人生を楽しむ」という選択肢とは相容れないものになってしまいますよね。

「さとり世代」という言葉に代表されるような、「悟り」のネガティブなイメージも、まさにここに紐づいているような気がします。

「悟り」=試合終了の合図だからこそ、「悟った人」というのは、人生を達観し、野望をもたず、積極的な活動をしない人、つまり能動的に人生を楽しもうとしないという印象が持たれてしまうのです。

・「悟り」はゴールではなくスタート!

しかし、現代における「悟り」は、けっしてゴールではありません。


むしろスタートなんです!



「悟り」の境地というのは、様々な潜在意識のフィルターを手放し、「いまここ」の視点を獲得できるようになる状態。


重要なのは、ここで言う「いまここ」の視点というのは、「今だけしか見ることができない」視点ではないということ。


「いまここ」の視点というのは、因果律的なとわられなしに、過去・現在・未来における自分のあらゆる可能性を見つけ、拾いあげることができる視点です。


つまり、「悟り」によって「いまここ」の視点に立つというのは、このあらゆる可能性を体感し、それを人生に生かしていくことができる、スタートラインに立つこと、そのものなんです。


私たちが因果律的なとらわれから自由になり、そこからクリエイティブに人生を楽しんでいくためには、2ステップが大切。

まず1つ目のステップは、「手放し」によって、「悟る」こと。


他者との積極的な関わりを通して、自分の潜在意識の癖に気づき、それを手放し、「いまここ」の視点に立つことが、まずもって必要です。


(ひとり殻にこもって内省するだけでは、自分がプリセットされて持っている意識のフィルターには気付けないからこそ、「悟り」のためには、他者との関わりが欠かせないわけです。)


そして2つ目のステップは、その「悟り」の状態のなかで見えてくる様々な可能性によって、「いまここ」の自分を満たすと同時に、人生を前向きに歩んでいくエネルギーを得ること。


この2ステップ目こそ、ポスト「悟り」のプロセスです。




・ポスト「悟り」=たくさんの可能性をエネルギーにして前に進むこと

この、ポスト「悟り」のプロセスが、これまであまり注目されてこなかったからこそ、「悟り」の浮世離れしたイメージが定着してしまったのではないでしょうか。


「悟り」というのは、あくまで、人生をたくさんの可能性に開き、そこからエネルギーを得るための土台が整った状態。


その可能性のエネルギーをどう活用していくかは、ポスト「悟り」のプロセスにかかっているんです!


たとえば、あなたが、自分を卑下しがちで無力感を感じやすい、という潜在意識の癖を持っているとします。


その癖に影響された、因果律的な思考のなかでは、「他の仕事はできないから、つまらない業務をルーティンとしてこなしている」、あるいは「プライベートな時間を楽しめない」「心から信頼できるパートナーや友達、家族が存在しない」といった、かたよった未来像しか想定できない。


過去に関しても、自分の無力感につながった記憶だけが鮮明に思い出せる状態になっている。


現在時についても同じ。特にその必要のない場面であったとしても、何事も自分を卑下する方向に解釈してしまう。


けれど、もしその癖を手放すことができたとしたら。


これまでの自分が見ていた過去・現在・未来のヴィジョンは、かなり限定されたものだったこと、ありのままの「いまここ」の自分の前には、もっとたくさんの(そう悪くはない)可能性が広がっていることに気づけるようになります。


それが、「悟り」の状態です。

そして、その状態において、「いまここ」の自分が持ち得る可能性を、いくつもいくつも(この複数性が重要です!)、ありありとイメージしてみる。


たとえば、「いまの職場で楽しく仕事をしている」姿。「転職し、趣味を仕事にし、多くの人に喜ばれている」姿。「おいしいものを食べて、ゆっくりしている」姿。「有給休暇で温泉に行っている」姿。「自分を認めてくれる素敵なパートナーを過ごしている」姿。


これまで潜在意識の「癖」によってブロックしていたそのような様々な可能性を思い浮かべると、自己肯定感が上がり、なんとなく「自分の人生、面白いかも!」「本当にこんなことができるかもしれないな!」という思いが湧き上がってくるのではないでしょうか。


これが、ポスト「悟り」の境地。


「いまここ」の自分が持つたくさんの可能性から、エネルギーを得る、ということなのです。

その可能性はもちろん複数あり、すべてが絶対に現実化する、というものではありません。


実現するかもしれないし、実現しないかもしれない。


けれども、そのたくさんの可能性が自分に開かれている、ということ自体が、「いまここ」の自分を充足させ、ほんのちょっとしたことであっても行動に移していく、原動力になるんです。

「絶対に転職する!」「絶対に恋人を作る!」といった明確な目的性のもとに「いまここ」の自分の行く末を限定し、追い込んでしまうのは、ポスト「悟り」の実践とは言えません。


ポスト「悟り」をうまく実践できている人は、芽が出るかはわからないけれど、たくさんの可能性の種を撒くプロセス自体を楽しみながら、無理をせずに前に進んでいくことができます。


たくさんの可能性の種を撒いてさえいれば、そのどれかが芽を出し、花を咲かせる確率は、たった一つの種を大事に大事に育てている時よりも、格段に上がりますよね。


これからの時代、スピリチュアルの考え方と日常生活の架け橋になるのは、まさにこの、ポスト「悟り」の実践なのではないでしょうか?


次週からは、このポスト「悟り」の実践方法、つまり、たくさんの可能性によって「いまここ」を満たし、前に進む活力を得るための具体的な方法論について、詳しくお伝えしていきます!


どうぞお楽しみに