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スピリチュアルカウンセリングって本当に必要⁉︎【翔哉のひとりごと 第2回】


みなさん、こんにちは!YOKU STUDIO代表の翔哉です。

前回から始まった、「翔哉のひとりごと」として、スピリチュアルの可能性や必要性をとことん疑ってみることを主題としたこのシリーズ。第二回からのテーマとしては、

“スピリチュアルカウンセリング”です!!


“スピリチュアルカウンセラー”が“スピリチュアルカウンセリング”を疑ってどうすんの⁉︎と思われるかもしれませんが(僕もそう思います笑)、この連載はそういった趣旨なので、おおらかな気持ちでおつきあいくださいませ。




・スピリチュアルという非日常



前回の記事では、僕がスピリチュアルカウンセラーになるまでの経緯を大雑把に書き殴っていったんですが、その中で、あるとき僕は悩みに悩んでいて、そこで選択した”藁”が“スピリチュアルカウンセリング”だったという趣旨の文章を書きました。(詳しくは下記のリンクから前回の記事をご一読いただければと)




数ある藁(占い・自己啓発・心理カウンセリング・著名人の名言....等々)の中で“スピリチュアルカウンセリング”を選んだことはたまたまだったんですが(それが、運の尽きというか運命のいたずらというか.....笑 )、とりあえずスピリチュアルに関わっていくきっかけになりました。


そこで体験したこと、何で基本理系頭の僕がスピリチュアルカウンセリングなるものにある種ハマれたかを、今になって考えてみるとそれは、


普段の日常の中で積み上げてきた常識や価値観とは全く違う考え方や世界観の中で、今まで絶対うまくいかないと思っていたことがうまくいっちゃったからです。



つまりはもうちょっと抽象的にいうと、当時、僕が見ていた世界のパースぺクティブで捉えた問題意識が、全くもって今までとは違う(ともすると全くもって非常識な)パースペクティブや、その中での問題解決の所作でなんかうまくいっちゃた(気になっただけかも....)事が、ある種このなんとも怪しげな業界に身をおくきっかけになったのです。




・カウンセリングが”ハレ”の経験になる!?


民俗学や文化人類学の概念に、“ハレ”と“ケ”というものがあります。 “ハレ”とは儀礼や祭、年中行事などの「非日常」を指し、一方、“ケ”とはふだんの生活である「日常」を表す言葉と定義されています。

僕の独自解釈かもしれないですが、この“ハレ”と“ケ”の関係性は、“ケ”の日常の中で凝り固まったストレスや問題意識を、ある種“ハレ”の祝祭的非日常の経験が乱数的に入り込むことによって、解放してくれるものだと考えます。 (社会学者エミール・デュルケームの聖俗二元論と“ハレ”と“ケ”を重ね合わせて論じることもあり、“聖”における宗教的神秘と“俗”との二元論の中で世界が展開されることは、スピリチュアル的には興味深いのですが、本文の趣旨からずれるのでこれはまた別の機会に....)

つまりは、常識的で日常的な“ケ”の経験の中で行き詰まり、立ち行かなくなってしまった時に、偶然的にも、神秘的にでも、各個人の考え方における思考/認知システムの外からの乱数的な“ハレ”の経験が非日常的な経験として入り込み、世界解釈を根本からずらすことで、問題に対して違う角度から取り組む事ができるのではないかと思うのです。


すごく平たく言ってしまえば、好きなアーティストのライブばかり通っている音楽ファンが、音楽フェスに行って新しいアーティスト(乱数)に出会い世界観の物語が変わったみたいなもんです。


そういった意味では、僕のカウンセラーとしての経験上、ファーストカウンセリングはわりかしうまくいきやすいです。



例えば、極端な例でいうと、夫がかなり支配的で、日常生活の行動規範を全て夫にコントロールされていたとします。


自分でもおかしいなと思っていても、なかなかそこから抜け出せない、もしくは自分が悪いんじゃないかと思っていたとすると、その人はその環境の中で、もしくは普段触れ合う人との関係やコミュニケーションの中だけでは、なかなかそのヤバさに気づけない。もしくは気づいていても、そこから抜け出す為にアクションを起こす事ができなかったりします。


そこで、ある種の非日常的な“ハレ”の経験(音楽フェス!?)としてのスピリチュアルカウンセリングを受けて。その世界観からくる、問題意識に対する視点を獲得し、その視点の中での諸々の対処策(ヒーリング、イメージワーク、除霊、等々)を受けると。


その対処策が効いているかどうかに関わらず(むしろ違う視点に立っているからこそプラシーボ効果が高くなるとも言えますが)、カウンセリングが終わった頃にはスッキリした感覚になり、自分の認識がある種間違いじゃなかったと、夫に対して違う観点から対応する事ができる、ある種の“勇気”みたいなものが出てくるんじゃないでしょうか。

以上の例からもわかるように、仮にワークやヒーリング等の施術がそこまで機能しなくとも、物語の読み替えだけでも、かなりのプラシーボが期待できるわけです。


一般の方の常識的な世界認知だと、その世界観や思考体系の中で、人は気づかぬうちに自分の意識の内に問題を作ってしまうものです。 (この考え方が、スピリチュアル界隈で言われる、「地球的周波数によって自らが作り出した一喜一憂のドラマ」に当たります)






・スピリチュアルカウンセリング=乱数的可能性との出会い



さて、ここまできたら当初の目標の半分くらいは達成したことになります。(たぶん...) 僕の今回の記事における問題設定は

“そもそもスピリチュアルカウンセリングって必要なの?”でした。

それは、上記にあるように、一般的な常識(と本人が思っている)の中で気づかぬ内に作り上げてしまっている問題や常識を、非日常的な経験(スピリチュアルカウンセリング)によって世界解釈を乱数的にずらすことで、違う視座の中でその問題を思っていたよりも簡単に乗り越えていくという戦略としてスピリチュアルカウンセリングを捉えていけば。


その必要性は非日常的な“ハレ”の効果性(知らないアーティストに出会えるフェス的な乱数的出会いの効果性)にあると言えます。



そこで大事になってくるのは、あくまでここまでは、スピリチュアルカウンセリングの効果の“半分”である事です。 どういうことでしょうか。



ここまでお伝えしている内容は、クライアントの今までの世界解釈の物語から生成された物語を、別種の物語に置き換える事で、問題意識に対する新しい視点を持ち、問題に対して向き合う勇気や解決のヒントを得るというものでした。


しかしこの物語は、スピリチュアル的な神話でなくてもいいという事です。


つまりは世界解釈の新しい物語は、なにもいわゆる“スピリチュアル的”な物語でなくてもいいという事。


占い、自己啓発、精神分析、小説、哲学、社会学、物理学......等々、世界解釈の種類にスピリチュアル的物語に特権性があるわけではないのです。



ですが、僕の中でスピリチュアル的物語の、ある種の特権性はあると思っています(あくまで、“ある種の”というところが大事です)。その部分を論じる事が、次回以降で論じる、残りのスピリチュアルカウンセリングの必要性の話になっていくかと思います。



2回目にしてやたら長文になってしまって、なんだか今後の展開に不安を覚えざるを得ないのですが。。。。。まだまだ頑張ります! 笑


それでは、次回の連載もお楽しみに!!!!