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ケアとセラピーについて
今回も前回に引き続き「ケア/セラピー(社会的支援)と欲」について考えていきたいと思います。
前回は、ケアやセラピーの分野に関わる専門家とその役割について解説しましたが、今回は支援を受ける相談者の側面を見ていきます。
・どんな形であれ誰にでも必ず欲がある
今から15年前。2008年9月にアメリカの有力投資銀行である「リーマンブラザーズ」が経営破綻し、世界的な株価下落と金融危機を引き起こしたリーマン・ショックは、日本にも大きな影響を与えました。
業績悪化から倒産、人員整理をする企業が相次ぎ、失業者が急増しました。失業はただ単純に仕事を失うだけでなく、住宅ローンや賃貸家賃が支払えない、会社寮を退去しなければならないといった、生活基盤を揺るがす大きな社会問題でした。公的機関には仕事を求める人、先行きの見えない不安を抱え、生活相談に訪れる人が連日殺到しました。
「今月中に仕事を決めないと、今の賃貸を追い出されてしまいます。頼れる家族も友人もいません。何でもいいので即就職できる仕事はありませんか?」相談者は皆、口を揃えてこう言います。
すぐに決まりそうな仕事と言えば、介護や建築関係といった、常に人手不足の分野です。介護や建築の仕事が誰でもできる簡単な仕事というわけではありませんが、慢性的な人材不足の問題を抱える事業所は、本人にやる気さえあれば、積極的に面接を設定して下さる上、採用条件も親身に相談に応じてくれるところが当時は結構あったのです。
本人の切迫した状況と企業のニーズが一見マッチングするかと思いきや、比較的条件のいい求人を提案しても「介護だけは・・・」と拒む人がほとんどでした。
これに対し、「選り好みをしている場合か」という厳しい意見も聞こえてきそうですが、私にはそれが自然な反応のように思えます。なぜなら、前回ご紹介した第1欲求(生存欲求)から段階を経て、自己実現に向かって成長し続けるとした「マズローの欲求5段階説」ですが、この理論が発表された時代に比べ、今は物質的にもはるかに豊かになり、社会保障も当時よりは充実していると思うからです。
つまり、マズローの欲求5段階説は現代の価値観とそぐわなくなってきている。現代人は、生きる糧や術を最優先にしなくても、なんとか生き延びられる。だからこそ「切迫している、悩んでいる」と言いながらも「〇〇はしたくない」と言うことができる。その意思の裏には、本来望んでいる欲が隠れているはずなのです。
・ケアが先か、セラピーが先か
もう一つ別の例を挙げましょう。6年近く前の話です。
障害者雇用には、就労継続支援A型事業所というものがあります。これは一般企業での就労が難しい障害や難病がある人が、雇用契約を結んだ上で一定の支援がある職場で働くことができる福祉サービスです。
平均労働時間は20時間、最低賃金が保障されており、平成26年の平均給与は月額6万6412円でした。障害年金を合わせても親元を離れて自立できるかと言えば難しいところです。ところがある時、某県に平均月収11万円以上(6.5時間/週5日)という高水準を維持する事業所があるという話題が上がりました。モデル事業として東京で講演会が開催されると知り、早速申し込みました。
仕事内容は、収穫した野菜を加工(皮むき、カット、袋詰め、仕分け等)し、お弁当の調理・販売するというものです。
壇上に上がった3人の利用者が、手際よくジャガイモの皮を剝いていきます。そして同時進行で別のチームが卵焼きを作り、講演会参加者に振る舞ってくれました。味はもちろん色も形もよく、商品として見栄えのいいものでした。
実演の後、壇上に上がった利用者一人一人に司会者がインタビューしていく中で、就職までの経緯が当事者から語られました。
年齢も障害の種別も様々です。学校卒業後、就職したが馴染めず退職し、働くことが怖くなり、そのまま引きこもってしまった、仕事が合わず離転職を繰り返した結果、就職を諦めてしまった等、理由もそれぞれです。
手先が不器用で、始めは身を大きく削り取ってしまっていたのに、指導員と一緒に何度も練習することで、今では誰よりも早くきれいにジャガイモの皮を剥けるようになった。
人と接するのが苦手で、家族や担任の強い勧めで渋々面接を受けた人が、今では自ら進んで20時間以上働きたいと望むようになった。
引きこもった状態から、ここまで変わった彼らに共通したのは「欲」でした。
手先が不器用だった人も、回数を重ねるごとにコツを掴み、上手になるたびに達成感を感じ、「もっと早く剥くにはどうすればいいか」を試行錯誤することが楽しみに変わったこと。自分で働いて得た給料で、誰に気兼ねすることなく大好きなゲームが買えること。対人関係が苦手だった人が、仕事を通じて職場のスタッフや同僚と仲良くなり、仕事の後に同僚と飲みに行ったり、カラオケに行くのが楽しみだと言えるまでになったこと。
就職前の彼らは、引きこもっている自分に対して問題意識を持っていましたが、積極的に解決に向けて行動していたわけではありません。また、本人には引きこもっている自覚(問題意識)はないのですが(※中程度の知的障害がありました)、親や担任が心配する様子をみて、親の「就職してほしい」いう欲望を引き受ける形で問題を共有し、身動きがとれなくなってしまった人もいます。
しかし、仕事に慣れ、その環境に埋没し、楽しめるようになった時点で問題は問題でなくなり、結果的に問題解決したように見えるのです。
事業所責任者の話で印象に残っているのは、「障害雇用率達成の為だけの雇用ではなく、本人が生き甲斐をもって自立可能な収入を得て働くことができる場が必要。その為には利益を生み出す企業を創る必要があった」という言葉です。
このケースに関しても、最初は家族や担任が安全・安心な場所は確保した上で、社会へ出る事へ対する不安のケアをしていました。その上で周囲の人間は時には叱咤激励し、本人へ色々働きかけるのですが、それでも社会的欲求へ移行しないのは、ケアやセラピーが不十分だからではなく、周囲が「引きこもり」という表面上の問題にフォーカスしすぎていた為、本人の欲をうまく駆動させることができなかったのではないかと思います。
・問題を作っているのは誰か
この2つの事例から、相談者が抱える「失業に伴う不安」や「引きこもり」というわかりやすい問題にフォーカスし、その解決に躍起になるだけではなく、彼らの「欲」に目を向けることの大切さが見えてきます。
そしてこれは、相談者に対するケア/セラピーの役割を考える上でも重要なポイントだと思うのです。
この記事を書くにあたり、ケア/セラピーについて急遽簡単ではありますが調べたところ、ケアは「傷つけないこと」「依存を引き受ける」セラピーは「傷つきと向き合う」「自立を促す」「きちんと理解する」とありました。
たったこれだけで自分の意見を述べるのは非常におこがましいのですが、今回は感想程度に(今後きちんと参考文献を読み込み、再度検証していきます)。私はもともと心理系のカウンセラーではないので、ケアとセラピーの違いについて、最近はこのように論じられていることを初めて知りました。
「依存先を増やす」といった考え方も浸透しつつあるようですが、意識的に「依存」という言葉を肯定的に使い、共感性を高めることで相談者に安心感を与えることを狙いとしており、「たくさん相談先を確保し、依存を分散させ、1カ所の他者への依存をなくすこと。相談先から得たたくさんの選択肢の中から“本人が選ぶこと=結果、他者依存からの脱却を図ることにつながる」という意図は理解できます。
ただ、私個人としては「依存」という言葉が強すぎて、違和感を覚えます。本来、ケアやセラピーが“治療を要する人”を対象としている為、敢えて「依存」という言葉を選択しているのかもしれませんが、依存という言葉には、「支配する者・される者」という上下関係を連想させ、居心地の悪さを感じます。
また、「きちんと理解する」という言葉にも、ある種の暴力性を感じます。
例え同じような経験をしたとしても、一卵性双生児であっても、別人格です。当事者の気持ちを「さぞかし悔しかっただろうな」といった具合に想像することはできたとしても、当事者以外が100%「理解すること」はできないはずです。「理解する」といった時点で「相手を掌握する」という心理が働き、無意識に支援者のコントロール欲を刺激しそうな気がしてしまうのは私だけでしょうか。
キャリアコンサルティングにしても、カウンセリングにしても、目の前にいるのはAIではなく生身の人間です。
人は過ちを犯すものです。その人間が考えた理論や政治的正しさに囚われ、執着しすぎると、人間らしさが失われるだけでなく、問題解決を望んでいたはずが、問題にしか意識が向かず、ただただその場で右往左往し、新たな問題を量産し続けるような気がします。
ケアが先か、セラピーが先かという二項対立ではなく、「どう楽しむか」という視点で脱構築を図るのがYOKU STUDIOが目指すカウンセリングです。
「欲、生きる」為のカウンセリングとは何かを、次回考えていきたいと思います。