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オリジナリティって、自分の「外側」で見つかるものだ。
こんにちは!YOKU STUDIOの中の人です。
いつもは、YOKU STUDIOの理念をお伝えする記事や、書籍の要約&解説記事を書かせていただいているのですが…今回はもうちょっとエッセイ的に、文章を綴らせていただこうと思います。
テーマは「オリジナリティ」です。
「オリジナリティ」。
私たちは、この言葉に対して複雑な思いを抱きがちではないでしょうか?
多様性が重視される現代において、自分らしさを追求すること、個性を発揮して活躍することがますます求められていますよね。
その一方で、巷には無限に情報が溢れており、それをかき集めればなんとなく「それらしい」ものができてしまうゆえに、自分オリジナルの感性や考え方を持つとか、独創的な作品を制作する、ということのハードルがかなり高くなっているようにも思います。
しかも、「オリジナリティ」が重視されるわりに、「オリジナリティ」をどうやって見出せばいいかについては、学校や社会で教えてくれません。
だからこそ、「自分のオリジナリティとはいったい…?」と悩んでいる人も、かなり多いのではと思うのです。
自己啓発やスピリチュアルの分野では、瞑想やヒーリングを通して「本来の自分」に気付けば、自然と「オリジナリティ」が見えてくるんだ!と言われることも多いですが、私自身はあまりそれを信じていません…笑
というのも、私の体験上、「オリジナリティ」というのは、自分の「内側」と向き合うことだけでは見えてこない。むしろ自分の「外側」を見つめることでしか形成されないものだと感じているからです。
・「オリジナリティ」に振り回される…
すでに何回か記事内でお話ししていますが、私は、文学研究者として大学で働いています。
客観的な事実を証明することに心血を注ぐ理系の研究者とは違って、文系の(とくに文学など、社会的な出来事よりも人間の想像力に関わる問題を扱う分野の)研究者は、その成果にどれだけ独自性があるかが、重要な評価基準になります。
つまり、今までの研究で指摘されていない、面白い見方を示すことが、研究において大切なわけです。
だからこそ、私も昔は、他の誰のものでもない自分らしい研究成果を出すこと、つまり研究者としての「オリジナリティ」を持つことに、強く意識が向いていたように思います。
けれども、独創的なものを作ろうとすればするほど、どんどん苦しくなり…ドツボにハマってしまうことが多かったのです。
自分がこれまでやってきたやり方にこだわりすぎて、新しいアイディアが浮かばなくなったり。
あるいは、すでに誰かによってなされた研究との違いを意識しすぎるあまり、自分の言いたいことがよくわからなくなってしまったり。
いま思えば、その原因は、「オリジナリティ」を自分の「内側」に探そうとしていたことにあったように思います。
・「オリジナリティ」はトライアンドエラーの先にある
そもそも「オリジナリティ」って、私たちが生まれた時から、ずっと変わらずに持っているものではないと思うのです。
「オリジナリティ」の原型となるものとしては、好き/嫌いや得意/不得意のような趣味・趣向のレベルから、自分なりのまとまった意見や思想のレベルまでがありますが…
それらは、最初から私たちが自覚していたものでは決してなくて、毎日の生活のなかで、トライアンドエラーを繰り返しながら、徐々に見出してきたものではないでしょうか?
子どものころを思い出してみてください。
たとえば私は、本と音楽が大好きで、球技やアスレチックが大の苦手な子どもでした。笑
そして、本のなかでもファンタジーとミステリーが好きで、そのジャンルの作品だったら時間を忘れて読めるとか、音楽でもピアノだったら長時間楽しく練習できるとか、そういった傾向は、すでに幼稚園や小学校の頃にはあったような気がします。
でもそれは、幼いなりに、目の前にあるいろんなことを先入観なく(そもそも生まれたばかりの子どもは「先入観を持つ」こと自体できないはずなのですから…)試してみて、自分なりの感覚で受け止めるなかで、だんだんと分かってきた自分の傾向や強みだったはずです。
だって、生まれたばかりの赤ちゃんが、「僕はこれが好き!」「私はこれが苦手💦」ということを「あらかじめ」知っていたら、ちょっと怖いですよね…
そう考えると、自分らしさ・個性としての「オリジナリティ」というのは、環境との関わりのなかでしか見出せないものだと言えるのではないでしょうか?
大人になると、過去の経験が増えていく分だけ、「自分ってこういう人間だ!」という認識のもとに、その範囲内で行動しようとしがちです。
トライアンドエラーを繰り返す労力を、なるべく減らそうとしがちなんですね。
でも、過去の経験にだけに依拠した「オリジナリティ」は硬直化し、「いまここ」の自分と周囲の環境にはそぐわないものになってしまいます。
自分の「内側」に「オリジナリティ」を探すには、限界があるんです。
・「オリジナリティ」で悩むなら、まず行動を
先ほどの、私自身の研究の例に戻るなら…
自分なりの「オリジナリティ」を発揮しようと躍起になっていた当時の私に、いま言ってあげたい言葉は、「そんなことで悩むより前に、行動しろ!」です笑
だって、外界と向き合うことでしか、「オリジナリティ」は見えてこないんですから。
とりあえず、何も余計なことは考えずに、研究対象の作品を集中して読み込んでみる。あるいは好奇心の赴くままに、研究に関係する本も関係しなそうな本にも目を通してみる。周囲の人と、世間話の延長線上のようなかたちで意見交換してみる。
そんなことを真剣に試していくなかで、ぼんやりと浮かび上がってきた自分なりの感覚を大切に拾い上げて、わかりやすい表現形態(文章や作品など)に整えていくプロセスこそ、「オリジナリティ」を生む唯一の道だと、いまの私は思っています。
職業柄、大学生と関わる機会が多く、「自分にはオリジナリティがないんじゃないか…」と悩んでいる学生に出会うこともしばしばあります。
物心ついたときには、ちょっとスマホやPCを操作すれば、すぐにたくさんの情報を集めることが可能であった世代は、とくに「オリジナリティ」をめぐる悩みを持ちやすいと思うのですが…
「自分にとって必要だと思われる情報を収集する」のではなくて、なんとなくの直感とか好奇心を大切にしながら、外の世界の対象(実在の人物でも、小説やマンガ、映画やアニメ、音楽などでも良い)と、ちょっと時間をかけて向き合ってみて、その中での自分の心の動きを感じ取ることこそ、「オリジナリティ」の源泉なのではないでしょうか。
逆に、自分の「オリジナリティ」に強い自信を持っていて、自分という存在の特徴やキャラクター性を確固たるものとして信じている方にも、改めて、「いまここ」の自分を通して外界と向き合い、新たにトライアンドエラーを経験してみることをお勧めしたいなと思います。
「オリジナリティ」は生涯にわたって一定のものではなく、常に外側の世界と向き合って、「いまここ」の自分の感覚をたしかめることから見えてくる。
そう考えると、まだまだ伸び代がある存在としていまの自分自身を肯定することができ、人生におけるその都度その都度の面白さを見出していくことができるはずです。
「オリジナリティ」は、自分の「内側」ではなく「外側」で見つかる。
この前提に立って、人生の道程を「オリジナリティ」の飽くなき発見の旅として定義してみると、日々の生活がこれまでよりもずっと特別で、愛おしいものに見えてくるのではないでしょうか?