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すごいけど煙たい〜読書好きによる読書嫌いの考察〜


皆さん、こんにちは。
今回は読書について書いていこううかと思います。



読書変態の読書法





普段、皆さんは本を読みますか?読むとしたらどんな本を読みますか?


私はビジネス書や啓発本以外はなんでもござれというタイプです。

一度に一冊を読み切りたい人間でもないので今日は『かわいすぎる人よ(1)〜(2)』(綿野マイコ/HARTA COMIX)を読んで登場人物のメイちゃんにMAXまで癒してもらい翌日は『物語 中東の歴史-オリエント5000年の光芒』(牟田口義郎/中央公論新社)を読む。

中東の歴史が面白くなってきたので『乙嫁語り(1)〜(14)』(森薫/青騎士コミックス)で中東付近の庶民の実際の文化を描き込み魔である森先生の美麗なイラストと共に読み耽る。

しかし、そろそろ現実世界でも生きなくちゃと次の日は『さんさん録(1)〜(2)』(こうの史代/ゼノンコミックス)を読んで溜まった洗濯物を片付ける元気をもらったりしているわけです。


こういった読み方は一般的ではないのかもしれません。『物語 中東の歴史』なんて1日では読めなくていまだに途中ですし、周りの人に聞くと何冊も一度に読み進めると話がごちゃごちゃにならないか?とよく言われます。

それに普通に生きていてどういうきっかけで中東の歴史に興味を持つの?それ読んでどうするの?というのもよく聞きます。

言われてみれば夏休みに唐突にギリシャ神話を読んでみたり、小学生の時点で古事記を読んでいた私には何かしらの変態性があるなぁとは思うのですが…笑

一番気になって、かつよく聞くのが「それ読んでどうするの?何に使うの?」という言葉です。

自分でも結構考えてみたのですが…目的は無いですね!爆


そしてこれらを言われた時にいつも思うのが「みんな何かに使う目的を持って本を読むのか…」ということです。

私もレポートを書く時や何かの試験を受ける時は目的を持って本を読みました。

でも…目的もつと途端につまんなくなるのなんで?????!!!!泣

「この本から期日までにこの内容の知識を得なければ!!」と力が入ってしまうのでしょうかね?

プレッシャーに弱いんだなぁ…笑

ともかく私の中には「明確な目的を達成するために本を読む」という概念があまり無いようです。

小説だろうが歴史書だろうが哲学書だろうが、読み始める時の感覚は漫画の最新刊を開く時とほぼ同じです。

「ただただ本を楽しむ」というのが私の読書なのかもしれません。






褒められながら嫌厭される





今回、読書について書こうと思ったのは先日地元へ帰省したのがきっかけです。

私の地元は僻地すぎて帰るのに東京から最短でも4時間半ほどかかります。

移動時間に読むようにとKindleに読みたかった本をしこたまダウンロードしていきましたが移動時間以外にも親戚の法事の間なんかに読んでいると「何読んでるの?」と声をかけられます。


その時読んでいたのは『誰も語らなかったジブリを語ろう 増補版』(押井守/東京ニュース通信社)や『北北西に曇と往け(7)』(入江亜季/青騎士コミックス)だったと思います。

どちらも「面白そう」という興味のみで読んでいた本でしたが声をかけてきた従姉妹からすればたとえ本屋に平積みされていても手を出さない代物だったようです。

私が本のタイトルや内容を告げると「はぁーーーー!ぜんっぜんわかんないけどやっぱ頭いい人は読む本が違うねぇ!私なんかまず本屋にも行かないからさぁ!」とのこと。(ちなみに私は頑張ってもFランク大の偏差値しかありません泣)

「あふぁ…ふへへ…」と言葉にならない苦笑を浮かべるしかできないやりとり。…幾度となく地元にいた頃に繰り返されたこのやりとりですが久しぶりにくらったので憤りかたも激しいものに…しかしただ憤っても仕方ない!

幸い私にはものを書ける場があるじゃないか!!とどうしようもなかった憤りの正体について解明しつつ、あわよくば鑑賞という行為に結びつかないかなぁということで今回の記事の内容が決まりました。笑


そもそもなんでこれしきのことに私は憤るのでしょうか?

従姉妹の言い方だと「本を読むこと」はなんというか…「頭のいい人がすること」といった雰囲気があります。

それだけだとしたら「私、頭いいからなぁ!フハハハハ!」と自惚れていればいいことなのですが、どうやらそれだけでは無いような…?

丁度いい言葉が見当たらないのですが普段から本を読む人/読める人に対して「尊敬」しながら「蔑む」ような感覚があるように思います。


「蔑む」の意味は「他人や何かの物事を自分より能力、人格が劣るもの、価値が低いものとみなし見下すこと」ですが、そこに「尊敬」が入っているので「すごい、またはいいなぁとは思うけど自分とは違う存在として引き離してみていたい」…みたいな感覚。(この感覚に合う言葉があったらぜひ教えていただきたいです!!!)

親戚の中では変人として名の通った(?)私で、変人であることも自認してはいるのですがこの言い様のない感覚を食らうのにはなかなか慣れません。

なんだろう…一応「すごい人」として認定されてはいるけど、嫌厭もされる。魔王を倒して世界救ったのに、強すぎて都市の人間に嫌厭されて辺境で暮らすしかなかった勇者…みたいな?笑

私も魔王でも倒しとけばよかった…笑どうやら「本を読んだだけでなんで煙たがられなきゃいけないのか?」が私の憤りポイントのようです。






自分に立ち返って





私も何かに対してこの感覚を抱くことはないのか?と考えてみたところ思い当たったのがガチのアイドルオタであった知人でした。(アイドル好きの方申し訳ありません!!)

私の性質として広く浅く興味を持ったものに触れていくので、一つのアイドルグループのメンバーの一人を激推しして全国を遠征していた知人に対しては会って話を聞くたびに「はぇ〜…」と口を半開きさせながら外国語で話を聞かされているかのような感覚になっていました。

知人のことを「すげぇパワーだ…」と思いつつちょっと引いていたのだと思います。(ごめんね泣)


この「引く」という言葉は日常的によく使う言葉ですが意味を言葉で表現するのは少し難しい…

「ドン引き」という言葉には「つまらないギャグや行動によって、場の空気が一気にしらけること」という意味が当てられています。

これに当てはめるとすると、「推し活」が「つまらないギャグや行動」に当たる???う〜ん…そうといえなくもないような、そういうことではないような…?

頑張って言葉を当てはめるとすると知人の「推し活」は「自分の理解の範疇を超えた言動」でした。

理解しきれないので部分的にしか言われていることが想像も共感もできない…これは外国語か???アイドントスピークイングリッシュ…ジャパニーズ、オーケー?


はっ!!!なるほど!!従姉妹が私に、私が知人に抱いたこの感覚は職場で私が猛烈に英語で話しかけてくる外国人のお客さんに抱く感覚と似ている!?

接客業をしているので外国人のお客様にも頻繁に出逢います。しかし私は英会話がからっきしなので大抵は笑顔と身振り手振りと愛嬌?でゴリ押ししていくちょっと雑な接客方法をとるのですが、たまーに「なんかめっちゃ話しかけてきてるけど全部外国語で全然わからんー!!汗」となるお客様に出会います。

外国語の端々から聞き馴染みのある単語を見つけ出してなんとか対応してみるも…ちょっと違ったらしい!!ぬーーーーー!!申し訳ないけどちょっとだけでも日本語混ぜてくれると助かるーーー!!!泣

…なんとかやりとりしてお客様のご要望を叶える頃には普通に接客した時の倍近いエネルギーを消費したように感じます。


この「通じ合えない」「理解しきれない」という感覚!接客としてなら業務の一環としてなんとか通じ合えるように頑張れるでしょう。

それがプライベートで気の知れた間柄の人との間で起きた時に全部理解できるまで頑張れるか?と考えると私は「思考停止した方が楽だろうなぁ」と考えます。

「なんとなく理解できるところからすごいように感じるけど、ほとんどのところは理解できないし、それを理解するために今頑張る気力がないのでちょっと自分とは違う世界のことだと思うことにしますね」といった感じ。

そうかそうか…従姉妹よ、すまん。ちょっと理解したで!憤ってごめんよ!そして引いててごめんよ知人!







効果を期待しない知識=教養






なんか読書の話してないですね?笑

かなり遠回りしましたがなんの気なしに読書することが特異なことだと思い知ることが多く、なんだか肩身が狭いと日々感じていたのです。

この感覚の正体を知ることで読者を多くの人に楽しんでもらうためにどうしようか??と考えていたのです。


もし、ドラマを見る、音楽を聴く、などに等しく気軽に読書を鑑賞の一環として楽しめる人が増えてくれたら…私が嬉しい!!笑

それだけでなく自分の持つ知的好奇心に素直に反応し知識を得ることはたとえそれが即座に自分の人生に影響しないとしてもバタフライエフェクトのような影響力を後にもたらしてくれるのでは?と思います。


このバタフライエフェクトを期待する時、難しいのは効果が出ることを目的に読み始めると効果が出づらいこと…です。

記事の冒頭でも書きましたが私の読書には「読後に○○という効果がでることを期待して読む」ということがほぼありません。

なんとなく興味を惹かれる本に手を伸ばした結果、荒俣宏並の謎の知識量を身につけていたり、なんの気無しにやっていた「鑑賞」について文章として書ける機会をいただけたりするわけです。

私が「荒俣宏になりたいな〜」とか「将来文章を書く仕事がしたいわ」と思って生きていたわけじゃないのがまた面白いなぁ!これぞ教養ってやつだな!と熱くなったりするのですが…これもなんかの変態性かしら??笑


要は、自分のもつ好奇心に素直に従ってとりあえずいろんなものに手を出すと面白いことが起きるよ〜と言いたいのですが、人に何かをおすすめするとき「効果あるかはよくわからんし、もしかしたらなんの効果も起きないかもだけどやってみるとええで」という勧め方は「あぁ??何言ってんだこいつ?」ですよね。泣

すっごく勧めたいけど、上手く勧められないジレンマが文を書く手を止めてしまうんです…。


今は引き続き、鑑賞の楽しさをとことん書き少しでも興味を持っていただけたらものすごーく嬉しいです!!また次回お会いしましょう!!





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