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この曲、「悟ってる」なあ…3選 〜  YUKI、くるり、鬼束ちひろ


さて、前回までは「悟り」について、シリーズでお話ししてきました。

誰かとのコミュニケーション、特に「祈る」という意識レベルのコミュニケーションこそが、現代版「悟り」への近道。

今回は、YOKU STUDIOが考えるこの現代版「悟り」のマインドや、そこに至るプロセスが、表現されているのでは?という楽曲をご紹介します!


恒例となりつつある、この楽曲紹介企画。


いつも通り、選曲に関しては、私(中の人)の好み全開ですが…


決して特別な状態ではなく、人生をちょっと豊かに、楽しくする境地としての「悟り」を、感覚的に捉えることができるような曲を紹介しますので、ぜひ聴いてみていただければ嬉しいです!





・YUKI「歓びの種」(2006)



元JUDY AND MARYのボーカルで、ソロとして現在も活躍中のYUKI。


本当にいつまでも可愛い人ですが、彼女が書く歌詞は、よくよく聞いてみると、なかなか奥深いんです。


今回取り上げるのは、「歓びの種」


ご存知の方も多いと思います。




 

逆さまに見てた 冷たい空 泣いて赤くなる 街を見下ろした 風に流されて 体ゆだね 笑い飛ばす 意外にタフ 旅は続くんだ


 


実は、主人公の「私」が涙する場面から幕を開けるこの曲。


でも「私」は、悲しみに飲み込まれることはなく、それを「風」に委ねて笑い飛ばし、「旅」を続けることにします。


そしてそれは、一人の「旅」ではなくて、「あの人」と一緒の「旅」なんです。




 

憧れの夢を 魔法の歌を 私はいつでも 観ていられるから あの人を誘って どこへ行こう 未来を射す 明日へ渡す 手紙を書くよ  間違いだらけと 分かっていても 2人は進んでいく つまりそれは 恐れずに 幸せになる 切符を 手にしている



 



現実がどうしようもなく辛い時、自分だけの世界に埋没してしまうと、その悲劇のストーリーが余計に強化されてしまうことってあると思います。


そんな時、ちょっと心の片隅に余白を作り、そこに誰かの存在や、誰かの思い、考え方を受け入れてみると、ずいぶんと気持ちが楽になったりします。


誰かとのコミュニケーション(物理的なレベルであっても、たとえば前回紹介した「祈り」のような意識のレベルであっても)によって、自分を縛る鎖としての単一のストーリーから解放されて、自然とリラックスしている状態。

それこそが「恐れずに幸せになる 切符を手にしている」状態なのだと思います。




 

陽だまりのにおい 雨上がりの空 与えられたのなら 受けとめよう しかられてみよう 愛されてみよう 心の底から 信じてみよう

見逃してしまう 歓びの種を 暖かい大地で 育てましょう



 


この曲のポイントは、「歓び」にではなく、その「種」に焦点を当てていることです。


「種」というのは、その内部に未知の力を秘めている存在ですよね。


そこからどんな芽が出て、どんな花が咲くのかはまだわからないわけです。


だからこそ、「いまここ」の自分と相手が抱えている「種」、つまり未来の無限の可能性を楽しみに、心から安心した状態で、「いまここ」の世界を信じてみる。


他者とのコミュニケーションのなかで得られる、このような、「歓び」の可能性に開かれたリラックス感こそ、現代版「悟り」の感覚だと言えるのではないでしょうか?








・くるり「ソングライン」(2018)




くるりは、1996年にデビューして以来、ジャンル横断的な試みをしつつ、個性豊かな作品を作り続けてきたバンドだと思います。


個人的にとても思い入れが強い(というか青春ど真ん中)のバンドなのですが、それを語りだすと際限がなくなるので自重することにして。。


今回紹介するのは、わりと最近の作品。


缶ビールをプシュッと開ける音からはじまる、思わずつられてお酒を飲みたくなる曲、「ソングライン」です。




 

ハイネケン バドワイザー いつもの調子で飲み込んで アートヴェグ ボウモアの黒 ロックグラスで光る グラスの氷越し 見える  逆さまになった風景を 眺めながら のぞみは進む走る 西へ西へと走る



 


まさに、ほろ酔い気分で、新幹線に揺られている場面から幕を開けます。

牧歌的なアレンジと相まって、なんとなく聴いている方も、気持ちよく電車に揺られているような気分になるのですが、注目したいのはこちらの歌詞です。



 

色んなことを 中途半端なことを 考えて 消えてく  幸せのアイデアも


 



過酷な仕事に追われていたり、辛い出来事によって強く気持ちが揺さぶられたりした時、それを根つめて考え続けてしまうと、どうしても視野が狭くなります。


「自分はどうやっても不幸な人間だ、独りぼっちだ…」と、ネガティブな感情・思考の沼にはまってしまいがちです。


そんな時、人は、普段なら自分を楽しくしてくれるような物ごと、たとえば美味しい料理や綺麗な風景などの「幸せのアイデア」に気づかない。


そこで重要なのが、まさにほろ酔いの時のようにリラックスして、心に余裕を持つことなんです。




 

所詮 君は 独りぼっちじゃないでしょう 生きて 死ねば  それで終わりじゃないでしょう



 


ゆったりいい気分になる時間を持ってみると、目先のとらわれから少し視線をずらすことができ、フラットで広い視野が自然と生まれてきます。


「自分だけのストーリー」で満ち満ちになっていた心に余白を作って、自分自身、そして周囲の人々を眺めてみると。


肩の力が抜けて、一生懸命にこの世界を生きている自分のことも、相手のことも、ちょっと大切にしたくなる気がしませんか?


「私」も、「君」も、平等な存在として、お互いに関わり合いながら生きている。


誰も「独りぼっち」じゃないんだな、という、じんわりとした暖かい実感は、かなり「悟り」の境地に近いように思います。




 

雲の切れ間 中途半端な雨を のぞむ 虹と  ビルに映る白いボディ 外は 夏の 草いきれのグラウンドで 走る 少年の 帽子を飛ばす風


 



お酒を片手に外を眺める主人公のまなざしは、日常の風景の思いがけない新鮮さと面白さをとらえます。


リラックスし、日常をとらわれのない目で眺め、生活をちょっと豊かにしてくれる「幸せのアイデア」をたくさん発見できる状態になることが、「悟り」だとするならば…


現代における「悟った人」というのは、俗世から離れた崇高な人格者ではなく、むしろいつもほろ酔い気分のように人生を楽しめる人なのかもしれません。







・鬼束ちひろ「書きかけの手紙」(2020)



最後に紹介するのは、シンガーソングライター・鬼束ちひろが2020年に発表した「書きかけの手紙」という楽曲です。


「月光」「流星群」などの、繊細なバラードが有名な彼女ですが、最近の作品は、自身の人生経験を反映したような、柔らかさと強さが同居するものへと、進化している印象があります。


個人的に、とても素晴らしいアーティストだと思っているので、また元気に、マイペースに活躍する姿を見られるといいなあと願っています。


「書きかけの手紙」に綴られるのは、過去の思い出にとらわれている主人公の思いです。




 

怒られれば 責めた時や 晒されれば 悔しかった時 話をすれば 楽しかった時も 笑えるほどに思い出せるの 駄目だなんて 文字にしないように 馬鹿だなんて 文字にならないように 残りゆく文字にならないようにと 手紙はいつもまだ 書けないままで



 



他者との関係性のなかで、自分を責めてしまったり、相手を攻撃してしまったり、恨んだり。


コミュニケーションというのは、時に苦しみを生み、忘れられない傷を残します。




 

解らない言葉は 全部調べ出せた だけど 誰かの為の辞書でだったから 頼りないものさえ そっと頼りにした きっと どこにもない気持ちだったから


 

また、世間一般的な(辞書に載っているような)決まりとか、「ふつう」とされることにとらわれすぎて、そこに自分も相手も当てはめなければ!という思いが、お互いを苦しくしてしまうことも多いです。


それは、様々な面で、「ふつう、こうだよね」という固定概念を押しつけあうことになってしまうから。


でもほんとうは、自分も、相手も、お互いの関係性も、それぞれオリジナルなもので、無理に「普通」にあてはめる必要はないんです。




 

自分を探し出せなかった あの街や 自分を見つけられなかった あの街へ 貴方に優しくできなかった あの頃や 貴方に辛さだけぶつけた あの頃へ 全部忘れられないと 届いた返事 「まともじゃなくたって いいから」 「ふつうじゃなくたって それでいいからね」と


 


過去の思い出を忘れられないと、ずっと思いつめていた主人公に、ふとした瞬間届いた過去からの「返事」。


「返事」の送り主は、自分自身かもしれないし、「貴方」かもしれないけれど、その内容は、「まともでなければならない」「ふつうでなければならない」という固定概念を超えて、自分という存在そのものを優しく承認してくれるものでした。


この思いがけない「返事」は、「いまここ」の自分が、過去の自分と「貴方」を見つめ直したこと、ある意味、過去とのコミュニケーションを通してそれを再解釈することによって、はじめて届いたものだと考えられると思います。

「いまここ」の自分の心の中に余白を作り、固定概念に左右されないオリジナルな存在としての、過去の自分、そして「貴方」とを思うこと。


それはまさに、「祈り」ではないでしょうか?


この作品から見えてくる、「祈り」を通して固定化されたストーリーを脱ぎ捨てて、自分も他者もまるごと受容できる、安心感に満ちた境地へと至る道筋は、まさに現代版「悟り」に至るプロセスの一例だと言えるように思います。








いかがでしたでしょうか?(どうしても熱が入り、長文になってしまいました…)


ぜひ、紹介した楽曲たちをゆったりと聴きながら、自他をまるごと受容する、可能性に開かれたリラックス状態としての現代版「悟り」の境地を、感覚的に味わってみていただけたらと思います!





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