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【人間関係編】自分史上いちばん幸せな、ストーリーの作り方 〜 アセンションした創造力とは?


これまで5回にわたって「アセンション」についてシリーズでお話をしてきました。

前回の投稿では、「アセンション」によって、私たちの意識が「集合意識」化することを通して起こる、創造力の高まりについてお話ししました。


ここで言う「創造力」とは、なにも芸術的な才能だけを指すのではなく、自分の持つ本来のエネルギーを具体的に現実化し、世界に発信していく力のことです。

「アセンション」によって生じる、自他の区別のない愛によってつながった共同体では、お互いへの思いが化学反応的に共鳴し合い、お互いの本来のエネルギーを最大限にいかす形で活動ができるはず。


そのような、新しい時代の人間関係のあり方こそ、YOKU STUDIOが目指す「共同的創造」です。

でも、「共同的創造」という言葉だけ聞かされても、「それって結局、理想論じゃないの?」とか、「具体的になにか良いことがあるの?」って、思われる方も多いかもしれません。


そこで今回は、「共同的創造」が持っている大きな可能性を、私自身の経験談と結びつけて、ケーススタディ的に、わかりやすくお伝えしたいと思います! 




・何かを成し遂げるには孤独が必要?



私は、これまで大学に所属して、文学を中心に芸術、哲学などを研究してきた研究者です(大学教員のたまごでもあります)。


私が、これまででいちばん苦しい思いをしたのは、大学院生の頃、かなり孤独な状況で、研究を続けていた一時期です。


研究が長年にわたり、大きな論文を執筆する段階になると、他の人と顔を合わせる機会も減り、ひたすら机の上のパソコンと、積み重なった本や資料の山と向き合う毎日が続くようになりました。


何かを深く考えることも、それをもとに文章を書くことも、自分自身がとても好きなことでした。


自分の書いている論文はきっと学問の領域で意義があるものだ、これを書き上げたら自分のキャリアにもつながる、と思い、できるだけストイックに執筆を続けていたのですが。。

一人でもくもくと書き続けていると、だんだんと、自分に自信がなくなってきてしまったんです。


「結局、私が考えていることなんて、何の役にも立たないんじゃないか?」「こんな文章を表に出したら馬鹿にされるんじゃないか?」とか、悪い考えが頭のなかをグルグルするように。


学会で研究成果を発表するのも、指導教員の先生に書きかけの論文を見せるのも怖くなり、気分は落ち込む一方で、執筆もはかどらない。


友人たちはもう就職してキャリアを積んでいるし、「たぶんこんな悩みをわかってもらえないだろう」と、相談するのも億劫になってしまい、結局一人でふさぎこんでしまっていました。



・孤独は創造力の敵だった




当時の私の状況を考えてみると、思い込みが孤独を生み、孤独がさらなる思い込みを生む、という悪循環におちいっていたな、と思います。


「自分はこうじゃないといけない」、「他の人は自分を理解してくれるはずない」、と決めつけて、人との交流を避けてしまっていました。


そうすると、その決めつけがより固定化されてしまう。

そのような状態にあった時に自分が書いていた文章を、いま読み返してみると、やっぱり着想も平凡だし、視野も狭い。


自分が毎日を楽しめていないときに出てきたものって、やっぱり面白くないんですよね。


他者を拒否して、意固地になればなるほど、自分が作り出すものは、どんどん他者に伝わりづらいものになる、ということを、この経験から身をもって知りました。



・「誰かに思ってもらう」こと、「誰かを思う」ことの力



私がそのような悪循環を抜け出すきっかけは、ふとした瞬間に、「私は誰かに思われている」「認めてもらっている」という感覚を得たことだったと思います。


たとえば、以前の指導教員である、もう大学を退官した先生が、たまたま連絡をくれて、一緒に飲みにいったとき。


行きづまっている研究の話というよりも、たわいのない近況報告をしただけだったけれど、「君は面白いね」「きっと大丈夫だよ」と言ってくれたことが、とても嬉しかった。


雑談から、思いがけず面白い着想も得られた。


一介の学生である私をずっと気にかけてくれている人がいる、ということに安心感を覚えたと同時に、まだまだひよっ子の私が発する素直な意見や感想が、先生を楽しませることができたことが喜びになって、少し自分に自信を取り戻すことができたのです。

ほかにも、中学・高校時代の友人達とオンラインで話したとき。


みんな、私とはまったく違う職種についていて、「大学で研究をしている」と話すと、いつも「何してるのか想像つかない!」と言われてしまうけれど。


それでも、「ちょっと研究がスランプで、、」と弱音を吐くと、「○○ちゃんの書いた文章だったら読みたい! 本になったら買う!」と言ってくれたことが、すごく励みになりました。


同じように、他の友人達の近況報告や悩み相談を聞いていくなかで、悩みを抱えていた友人が、私のかけた言葉で笑ってくれたり、元気が出たと言ってくれたことが、かえって私自身の力になるような感覚がありました。

先生も、友人達も、直接的に私の論文を手直ししてくれたり、考え方のヒントをくれたわけではありません。


けれど、この交流を通して得た、「私は誰かに思われている」という感覚、そして同じように「私は誰かを思い、力づけることができる」という感覚が、私の創造力にかなり大きな影響を与えたことはたしかです。


その感覚を通して、自分の思いを素直に表に出し、他者と関わっていくことに対して抱えていた恐れが、少しずつ溶けていきました。


様々な思い込みや決めつけによって失われていた、「私は大丈夫」という気持ちが回帰したことで、過度にネガティブにならずに、適度に他者と交流を持ちながら、研究に取り組んでいくペースをつかむことができたように思います。


(ちなみに、このとき書いていた論文は、のちに博士論文として、無事に大学に提出することができました! 現在、書籍化を目指して活動しています。)



・自分のストーリーを、共同体のなかで作ってみる



今回は、私個人の事例に引きつけてお話しましたが、「私は誰かに思われている」「私は誰かを思うことができる」という感覚は、あらゆる場面で、人の創造力に良い影響を与えるはずです。

たとえば、自分の作った料理を誰かに食べてもらったとき。


料理に対してまったく無関心な相手よりも、とても喜んでいることが分かる相手に食べてもらった方が、嬉しいし、また作りたいという気持ちになりますよね。


思いがけない意見や感想をもらえると、それも力になる。


また食べる方も、つまらなそうに嫌々作る人の料理よりも、純粋に自分を思い、楽しんで作ってくれる人の料理の方がずっと美味しく感じるし、笑顔になれるのではないでしょうか。


自然とレスポンスも返したくなりますよね。


お互いに、他者が自分が認めているという実感、そして自分が他者を元気づけたという実感を持てると、そこから未来への活力がわいてきます。


このような関係性が、エゴイズムにも自己犠牲にもおちいらずに自然に成り立っているのであれば、つまり両者の間でのエネルギーの循環が上手くいっているのであれば、それはすでに「共同的創造」です。

「共同的創造」というのは、自分と他者のエネルギーが、自他の区別なく循環していく状態です。


人間関係というのは、シンプルに言ってしまえば、複数の個人の間でのエネルギーのやりとり。


自分の喜びが他者の喜びへ、他者の喜びが自分の喜びへと、ダイレクトにつながっていく状態、つまりエネルギーのやりとりが何も妨げられずにスムーズにできている状態においては、自分も他者も、そのエネルギーをフルで発揮することができる。


それだけでなく、二者間以上でエネルギーが循環することによって、そのエネルギーが増幅され、パワーアップするのです。

重要なのは、自分のエネルギーを自分のなかだけに押し込めるのではなく、他の誰かとの偶然的な出会いを大切にし、その他者とのエネルギーの交換のなかで未来を実現していこうとする態度です。


友達を増やすとか、コミュ力を上げるとか、そういったことが目的ではありません。


ただ自己完結的なジャッジを手放して、ナチュラルに、他者とのエネルギーの交流のなかに身をおいてみると、そのぶん、自分が自分らしく楽しめる未来が引き寄せられてくる可能性が高まります。

余談ですが、実はこのYOKU STUDIOのnoteも、「共同的創造」の成果です。


研究者である私が、ひょんなことからスピリチュアルカウンセラーの翔哉と出会い、対話を重ね、現在は共同でこのnoteを書いています。


ひとりではできない挑戦をし、ひとりでは得られない喜びを得ることができました。

「風の時代」におけるクリエイティブ・ストーリーは、「わたし」だけではなく、他者を含み込んだ共同体としての「わたしたち」全体が輝けるストーリーなのだと思います。