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「統合」ってこういうことかも?名曲6選 〜 後編/アナログフィッシュ、サカナクション、ジョン・レノン 〜
前回に引き続き、スピリチュアル的に重要な「統合」の感覚を表現しているかも?という楽曲を紹介していこうと思います。
今回は、男性ボーカルによる3曲!
ちょっと哲学的な、味わい深い楽曲を集めてみました。
ぜひ最後までお付き合いください!
・アナログフィッシュ "Hybrid"(2011)
1999年に結成されたスリーピース・バンド、アナログフィッシュ。
アルバム「荒野 / On the Wild Side」に収録されたこの "Hybrid"は、ボーカル下岡晃の、鋭い観察眼が反映された歌詞が印象的です。
たとえば…
何かで見た アイドルの笑顔は ステロイド漬けのボディビルダーのようで マイク越しに駅前の神様は 信仰心と破滅を天秤にかける
なんだかドキッとする歌詞ですよね。
明るく笑顔を振りまき、演説をしているはずなのに、どこか歯車が狂っているように見える、「アイドル」と「駅前の神様」(おそらく、駅前でよく見かける、自分の信じる宗教を熱心に布教している人のこと)。
ステロイド漬けのアイドル 取引上手なジーザス 由来を離れてどこ行く 狂気と正気のハイブリッド
そもそもは純粋な想いで一生懸命に活動していたはずだけれど、それがいつの間にか「狂気」じみて見えてきてしまうのは、強固な理想や信念、あるいは価値基準に、彼らがとらわれてしまった結果なのだと思います。
「〇〇こそが正しい!」「××は間違っている!」
「〇〇は味方!」「××は敵!」
このような二元論的な考え方が行き過ぎると、他の人の目にはまるで「正気」を失ったように映ってしまうのです。
「ステロイド漬けのアイドル」と「取引上手なジーザス」の例ほど極端ではないにしても…
私たちの日常生活において、特に対人関係において、このような二元論、つまり「分離」の意識にとらわれてしまうことって、多いのではないでしょうか。
(愛情と友情 曖昧な現状 現実と理想 抱きしめよう両方) 失う事を恐れて わかりあう日を求めて そんな事を繰り返してる そんな事を繰り返してる
相手を「失う事を恐れて」、そして「わかりあう日を求めて」、もがくことを繰り返すのは、まさに自他の「分離」の意識にとらわれているから。
「僕と君は違う」という認識があるからこそ、「僕の世界」と「君の世界」を分けて考えているからこそ。
なんとかして自分の思う通りに相手をコントロールしたり、あるいは相手の要望に必死に応えようとして、苦しむわけです。
でももし、相手を自分の一部のように、自然に意識のなかに取り込んでしまうことさえできれば。
固定化することのない相手との「いまここ」の関係(つまり「曖昧な現状」)を、まるごと楽しむことができるようになるかもしれません。
たまらなく君を愛してる また たまらなく君が嫌になる でも たまらなく君を愛してるよ 天使と悪魔のハイブリッド
この曲のなかで、「僕」は、自身のことを「天使と悪魔のハイブリッド」と呼んでいます。
それは、大切な「君」のことを、「たまらなく愛している」一方で、「たまらなく嫌になる」こともあるから。
でも、実はこの「天使と悪魔のハイブリッド」こそ、「分離」を乗り越えた「統合」の境地に近いように思うんです。
「僕」にとって「君」が100%理想通りであり続けるわけはないし、「君」にとって「僕」が100%理想通りであり続けるわけもない。
だから、お互いにお互いを、常に100%好きであり続けるという理想状態は、ほぼ不可能。
その理想状態を規範のように課してしまうと、お互いにとってストレスになってしまうはずです。
「君」のことが嫌になる日もあるのは、ごく自然なこと。
でもそんな時、「君」を「敵」だと見なさず、お互いを無理なくストレスフリーに認められるように、意識を転換できるなら。
「僕」と「君」は、まさに自他の区分を超えた「愛」によって「統合」されたパートナーとして、毎日を楽しめる同志になるのだと思います。
この曲が、「でも たまらなく君を愛してるよ」という言葉で締められるところに、「好き」「嫌い」を超えた「愛」による「統合」の可能性を見ることができるのではないでしょうか?
・サカナクション「プラトー」(2021)
2021年12月に発表された「プラトー」は、今年3月リリース予定のサカナクションのコンセプト・アルバム『アダプト』収録の楽曲です。
ボーカル山口一郎の歌詞は、お洒落な言葉遊び的要素もありつつ、深い思索に裏打ちされていて、とても分析しがいがあります。
この「プラトー」もまさにそんな曲。
コロナ禍のなか制作されたこともあり、彼自身の葛藤と、不安定な世相そのものが反映されているように思います。
0時以降の二人は 今日と明日を曖昧にしてる 冷蔵庫のノイズが 外の雨も曖昧にしてる 0時以降の二人は 半分透明になってしまって
平行線の夜は 息を吸って吐いてるだけです 蛍光灯のノイズが 幸せさえも点滅させてる 平行線の夜は 一回二人を冷静にして
「冷蔵庫のノイズ」そして「蛍光灯のノイズ」という言葉からは、コロナ禍における「ステイホーム」の期間を、否応なく想起させられます。
私自身も、一人暮らしの部屋にこもりきりで、Zoomや電話でしか、友人や家族とコミュニケーションを取れずにいた時期がありました。
家で仕事はしていたのですが、この生活がいつまで続くんだろうか…と、それこそ自分の存在がおぼろげというか、まさに「透明」に感じられて、なんとなく怖かったことを覚えています。
世界からひとり隔絶されてしまったような、そんな感覚を、同じように味わった方も少なくないのではないでしょうか?
そう考えると、コロナ禍というのはまさしく、私たちにとっての大きな「分離」の経験だったわけですね…
この曲で表現されているのは、コロナ禍という特殊な状況下のなかで見出された、「分離」の乗り越えと「統合」の可能性だと言えると思います。
まず、「半分透明になってしまった」2人は、「平行線の夜」に隔てられています。
身近だったはずの相手の存在が、だんだんと自分の世界から薄れてしまって、全くの一人ぼっちになってしまった…
そんな感覚に襲われる、孤独な「夜」の気配が伝わってくるようです。
しかし、この曲の主人公が気がつくのは、この「夜」自体が「幻」である、ということ。
この夜は 目を閉じて見た幻 いつか 君と話せたら 僕が今感じてる この雰囲気を いつか 言葉に変えるから
自分自身が目を閉じて作り出した暗闇を、「夜」だと勘違いしていたのだとしたら。
自分さえ目を開ければ、そこには朝の光が満ちているわけです。
コロナ禍における、夜明けが永遠に訪れないのではないか?という不安な気持ちというのは、実はまさに自分自身が作り出した暗闇だったのではないでしょうか。
実際、当時の私も、Zoomや電話でのコミュニケーションにずいぶん救われたという実感があるのですが…
私にとって何より大きかったのは、誰かとコミュニケーションを取ったという事実よりも、同じようにこの世界を生きている他者の存在を感じ取れたことです。
つまり私も、他者の存在を感じることを通して、いま溺れかけている悲観的な「夜」の世界というのが、自分の意識が作り出した「幻」にすぎないかもしれない、という可能性を知ることができたからこそ、穏やかな気持ちになれたのと思います。
そしてこれは、何もコロナ禍に限った話ではありませんよね。
他者とのコミュニケーションが、「個」の殻のなかに閉じこもっていると見落としてしまうような、毎日を楽しむ鍵に気づかせてくれ、視野をぱっと広げてくれることは、よくあります。
さらに、たとえ実際にコミュニケーションをとることができなかったとしても、それこそ「祈る」ように相手を思うことが、閉ざされた自分だけの「個」の世界を解体することにつながるはずなのです。
自分だけの孤独な世界に余白を作り、他者の存在をそこに組み入れること自体が、自他の区分をはじめとした「分離」を乗り越えて、「統合」へと至るきっかけ。
「プラトー」の、疾走感あふれるメロディーラインには、私たちの視野を広げ「いまここ」を生きるエネルギーを生み出す契機としての「統合」の希望が、たしかに反映されているように思います。
・John Lennon "Imagine"(1971)
言わずと知れた、ジョン・レノンの名曲です!
ラブ&ピースの精神そのものの楽曲とされ、多くの人から愛される楽曲ですが、その内容が夢みがちな理想論として受け取られてきたことも事実。
しかし、その歌詞をよくよく読み解いてみると、現代スピリチュアル的「統合」の感覚をかなり反映していると言えるんです!
ただ、もうかなり長文の記事になっているので(楽曲紹介企画はどうしても長くなる…)
「イマジン」の現代的再解釈は、次回に持ち越し。
じっくりと考察しますので、ぜひ次回もご覧ください!