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「乱数」を取り入れた鑑賞とは?


皆さん、こんにちは!
前回の記事が想像以上にご好評いただいたようで思いっきり調子に乗りそうでしたが、気を引き締めて、皆さんが楽しんで鑑賞について考えていけるよう精進していきますのでよろしくお願いします。


前回の最後に、次回は「鑑賞」において「他者からの言葉を受け入れる」ための具体的な方法についてお話しすると告知していましたが、具体的な方法の前にまず、「鑑賞」においてなぜ「他者の言葉」が必要になるのかということについてお話しして、その後「他者からの言葉を受け入れる」ための具体的な方法をお話ししていくことにします。






「他者の言葉」の効果





一般的な「鑑賞」は作品を見て自分の中で味わうところまでを指す言葉ですが、「欲、鑑賞しよう」での「鑑賞」は作品を味わう際、自分だけで完結しません。


「欲、鑑賞しよう」では、自分で味わって出てきた感想や意見を誰かと話すところまでを「鑑賞」にしています。


この「誰かと話す」という行為をあえて「鑑賞」のなかにいれているのはなぜか?それは会話という「乱数」を取り入れることによって起こる相互作用がすーーーごいからです!!笑



鑑賞する上で「他者の言葉」の必要性に疑問を持たれるのは「オタク的鑑賞」をする傾向にある人が多いのではないでしょうか?


「オタク的鑑賞」とは言い換えれば「食わず嫌いの偏食さん」です。「これ美味しい!」という記憶を基に同じような味(=作品のテイスト)だけを求めます。食わず嫌いなだけに知らない味の組み合わせになるとどんな味になるのか想像がつきません。


実際に海外の専門料理店などで何が入っていて、どんな味付けなのかもわからない料理を注文できる人ってなかなかの猛者ですよね。一方で「オタク的鑑賞」をする人は自分の好みの味はしっかり認識できていると思われます。こうなると自分の好みの味は既に知ってるし、それに満足しているので特に冒険する必要もない…となる…うん、私もそうでした。


私事なのですが中華料理が大好きでよく自炊します。先日、クッ○パッドのレシピに「オイスターソース 大さじ1」というキッチンに置いたことのない調味料の名前がありました。「近所のスーパーちっちゃいから置いてないだろうなぁ」と思ってスーパーに行ってみたら、まさかのしっかり陳列されていたので思い切って使ってみたんです。その結果…

「うーーーーま!!!!料理に革命が起きたーーー!!!」

…となりましたね。笑

私の自炊史上、味わったことのない味でしたが既存の好みの味にガチーーーン!とはまって新しい好みの味を生み出すことに成功しました。


…で、自炊自慢をしたいわけではなくて。笑この話を鑑賞に重ね合わせると、「中華料理」が私の好きな「味=作品のテイスト」となります。そこに革命を起こすきっかけをくれた「クッ○パッド」が「他者の言葉=乱数」となります。

クッ○パッドとは対話できないので、あくまで「他者の言葉」を受け入れた側の変化のみになりますが、このオイスターソース事件に見られるような世界観の拡大が「他者の言葉=乱数」を受け入れることで期待できます。そしてオイスターソース事件から言えるもう一つの事は、「好みの味って組み合わせ次第で広がるよ!」ということです。


全く思いもしなかった組み合わせだけど、「プリンに醤油かけるとウニになるらしいよ?」と言われたのを試しにやってみたら「これが食べたかったんだ!」となるかもしれません。(個人的には「プリンに醤油」は「プリンと醤油」以上の味にはなりませんでしたが。笑







世界観の変化=味変?





好みのテイストがある程度確立しているということは、自分を自分で幸福にできる要素を知っているという意味でとても素敵なことだと思います。


しかし、テイストはあくまで自分の好みを構成する要素の一つです。


この世にある様々な要素を足したり、引いたりすることで「これも好きな味だわ」、「この組み合わせは斬新だ!」というふうに好みの世界を広げて行けるとしたら、面白そうじゃないですか?






「乱数」を取り入れた鑑賞で可能性を広げる








他者との会話によって「乱数」を取り入れるこの方法は、会話に参加している人全員にオイスターソース事件に見られるような世界観の変化をもたらします。


「会話」は一人ではできません。カウンセリングのようにひたすらこちらの話を傾聴してもらうものでもありません。一方が話し、もう一方が聞き、それに返答し、聞き手が交代し、返答し…を繰り返す相互運動です。


当然、「乱数」は一方にだけ入ってくのではなく、会話に参加する全ての人に入ってきます。世界観の変化は「乱数」を取り入れることから始まるので、会話すればするだけ変化の種を得る機会が増えるのです。


このように一方だけが何かを与えるような形ではなく、与え与えられる形をとることで、自らが他者によって変化しながら、同時に他者の変化も促すことができる「会話」を鑑賞に取り入れることは、「欲、鑑賞しよう」が目指す自(=オタク的鑑賞)、他(=ミーハー的鑑賞)を脱構築した形での対話的鑑賞(=ミーハーなオタク的鑑賞)に近づき、自他の区別を揺るがせながら流動的に様々な世界観の中で生きてくことが可能になります。


このような流動性を受け入れることは、苦しみの中にあるときに「私はこういう運命だったんだからしょうがない」というふうに「運命」のような単一の物語だけに依存することを無くします。

「〇〇かもしれないし、〇〇でないかもしれない、どちらでもないかもしれないけどそれでいい」といったように自分が常に様々な可能性に開かれていることを受け入れたYOKU  STUDIOが提唱する「欲、生きる」の体現につながります。

「欲、生きる」についてはこのマガジンの母体であるYOKU STUDIOの記事をご覧になるともっと深く知れます。興味ある方はぜひご覧になってくださいね。



うーん…今回はほぼほぼ食べ物の話でしたね。笑「あれ?鑑賞がテーマの記事だったはずなのに…?」と思った方!はじめにお話ししたように次回は鑑賞に「他者の言葉」を取り入れるための方法についてお話していきます。では、次回またお会いしましょう!!




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