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「つかれた…」そんな時こそ、目線を上げてみよう。


今日も1日、お疲れ様でした!

ところで、みなさん、最近「疲れ」を感じていますか?

私(中の人)は、時期的なものなのか、四方八方から仕事が降りかかり、まるで岩石のように身体にのしかかる「疲れ」を抱えて、毎日働いております。。笑


いつも何かしらの必要に迫られて動き回っていて、「はー、疲れた…」が口癖になっている方、少なくないのではないでしょうか?


仕事に家事に人付き合いにいつも忙しい、現代人が抱えがちな、この慢性的な「疲れ」。


もちろんそれは、みなさんが頑張っている証拠ではあるのですが…「疲れた」状態って、身体が重いのはもちろん、心にも余裕がなくなってしまいがちですよね。



そこで今回は、この「疲れ」とは一体なんなのか、その正体についてYOKU STUDIO的に考えるとともに、「疲れ」との上手な付き合い方を探っていきます!


日々の生活にお疲れの方、ぜひ最後までお付き合いください!





・疲れは、身体ではなく意識の問題?



「疲れ」の語源ってなんだろう?と調べているうちに辿り着いたのが、養命酒製造株式会社のウェブサイト。


疲れの雑学|健康の雑学|元気通信|養命酒製造株式会社 「“疲れ”の語源にまつわるヨレヨレ具合」「“お疲れさま”に当たる英語は?」「疲れ知らずの恐るべき鉄人たち」——今月は疲れに www.yomeishu.co.jp


この記事のなかでは、「疲れ」の語源が多角的に分析されているのですが、特に興味を引かれたのが、この部分です。



 


「つかれる」の語源は諸説ありますが、「尽く」あるいは「憑く」ではないかという説があります。疲れた状態は、エネルギーが尽き、何かもののけが憑いたように見えたことに由来するのかもしれません。


 


「つかれ」を、「尽」の状態、そして「憑」の状態と捉えてみると。

それは、私たちの身体だけではなく、意識の領域と深く結びついたものであることが分かってきます。



・「つかれ」=「尽」の状態



まず、「尽」の状態としての「つかれ」を考えてみましょう。


私たちがやるべきことに追われ、忙しく働いている時には、本来ならば十分にチャージされているはずの体力が「尽」きてしまう。


それによって感じる、身体が思うように動かなかったり、重みや痛みといった違和感こそが「つかれ」、と言えるでしょう。



しかし、「疲れ」の原因となっているのは、体力が「尽」きることだけではないように思います。


その大きな原因は、自分の目の前に広がる未来が「尽」きてしまうこと、ではないでしょうか?



何かしらのタスクに追われていると、「あれもやらなきゃ!」「これもやらなきゃ!」「いや先にこっちか…!」というように、常に頭のなかがタスクに支配されがちです。


つまりその人にとっての未来は、「タスクをこなす未来」だけに限定されてしまっているんです。


どんなに忙しくても、私たちは食事をし、睡眠をとり、人と交流しながら生きています。


そのなかで、未来にちょっとした楽しみを見出し、モチベーションを上げることは可能なはずなのだけど(たとえばお昼休憩で好物のカレーを食べるとか、寝室を好きな香りで満たすとか…)、慌ただしい時は、そんな少しの工夫を忘れがち。


そうなると、どんどん気持ちの余裕がなくなって、心身の調子が下降線に…



目の前に広がる未来、言い換えれば自分に開かれている可能性が、限りなく「尽」きてしまっている状態。


それこそ「つかれ」なのではないでしょうか。




・「つかれ」=「憑」の状態




次に考えたいのは、「憑」の状態としての「つかれ」を考えてみましょう。


「憑」は、憑依の「憑」であり、なんとなく怖いイメージのある感じですよね。


たとえば平安時代には、心身の異常は「物の怪」が取り憑くことによって生じると考えられていました。


身体の重さや痛みを、「物の怪」つまり「霊」のような、ある種のネガティブなエネルギーの憑依現象として捉える考え方は、今も存在します。



しかしここで示したいのは、そのような、ややオカルト的に見える解釈ではありません。


現代に生きる私たちみんなに取り憑いて、「疲れ」を生んでいるものがあるんです。


それは、私たち自身が持っている「固定観念」です。


たとえば…



 


「仕事は完璧にこなさないといけない」

「ミスすることは恥ずかしい」

「家事も手抜きしちゃいけない」

「他人に迷惑をかけてはいけない」

「できない人間と思われたくない」


 

などなど。


誰しもが、自分の価値観や美学のようなものとして「固定観念」を持っているものですが、毎日を慌ただしく過ごしている時には、それがより強く意識下で影響し、行動規範のように働きます。


そうなると、ちょっと視点を変えれば、別の解決策(たとえば誰かに手伝いを頼むとか、意見を聞いてみるとか、ほんのちょっとだけサボってみるとか)がありそうなところを、自分の考えだけで突っ走ってしまいがちなんですよね。


しかも、自分の「固定観念」が強まると、それに相反するような「固定観念」が認められなくなり、他者への攻撃性につながることも…(忙しいときって、人に対してイライラしがちですよね)



自身の「固定観念」に取り憑かれ、視野がぐぐっと狭まった状態だと、心身ともに強張りが生まれ、より負荷を抱えてしまいます。


「つかれ」とは、その強張りの積み重ねの結果なのだと思います。







・「つかれた」ときに必要なこと



「つかれ」が、「尽」あるいは「憑」の状態だとすると。


それは、固定化された単一の状態に閉じていく運動性が原因だ、と言うことができます。


つまりその人が、もっと広がりのある意識状態のなかで、別の形の未来の可能性や、別様の考え方を見出せるようになるならば、「つかれ」から解放されると考えられるのです。



だからこそ重要なのは、忙しかったり、余裕がない時ほど、自分だけの世界にぐっと閉じこもるのではなく、「目線を上げてみる」こと。



 


・いま自分が見ている可能性以外のものがある

・自分が抱える固定観念だけで世界が回っているわけじゃない


 


そのことを意識するだけで、ずいぶん「つかれ」は軽減するのでは、と思うのです。


もちろん物理的に身体を休めることはとても大切ですが、このような意識の変化も、同じくらい、あるいはそれ以上に大切なのではないでしょうか?



ずっと自分の足元だけ見て歩いていると、世界は狭いまま。


けれど、少し目線を上げれば、自分が思っていたよりもずっと、世界は広いことが分かります。




自分の目線を上げて、世界を広げること。


自分を満たしてくれるいろいろな可能性を発見し、他者の考えを面白がれるようなマインドを持つこと。


「つかれ」を乗り越え、心身を適度にリラックスさせながら日々を楽しんでいくための第一歩は、実は、そのような意識の変革にあるのかもしれません!